2006年02月07日

uncle wiggly in connecticut



霧に包まれた高速道路のパーキングエリア。
ずらっと並ぶ自動販売機を背にして、
彼女は雨粒を受けた目を鬱陶しそうにしばしばさせる。

ゆっくりと赤いホープを唇から放すと
蝋燭の灯が消えるような音を立てて
小さく煙を吐いた。

煙は漂う間もなく雨に容赦なく貫かれ、霧に飲み込まれていく。


1人きりの旅は慣れた。


それでも行き先に、会う人がいるということは
少なからず彼女の口元に笑みをもたらす。
行き先に人が待っているというのは、緊張の種類が違う。


「ごちそうさま。」
彼女は隣で雨を眺める初老の男に向かって、
短くなった煙草を少し立てて見せると、そのまま灰皿の穴に放り込んだ。

男は彼女の2つ斜め前の席の乗客。
面識は全くない。

男は煙に顔を渋くしかめながら、手で合図をした。
白い煙が彼の顔を隠してしまったが、彼女の微笑みに応えるように、
男も微かに目尻に皺を寄せたのを確認して、雨空の下に飛び込む。

彼女は煙草を吸うが、もう何年も自分では買っていない。


10cm近くあるピンヒールをごりごり鳴らせながら
水溜りだらけのアスファルトを避け、バスに戻る。

バーバリーの綿のハンカチで髪や額の水滴を軽く拭き払うと、
シートを少し倒した。
倒す途中で、コートの肩に吸い込まれそうな雨粒に気が付き、
それもさっとふき取る。

読みかけの文庫本を開く。
過去に何度も読んだ字をゆったり追いかけながら、
ブーツを脱ぎ、シートに足を上げる。
彼女は床だって、ソファだって、椅子の上だって、
膝を抱えて座るのが一番落ち着くのだ。

水中を走っているのかと思うほどの霧と雨の中で、無意識に眠りに落ち、
煙草をくれた老人の鼾で、ふと現実に戻る。

うとうとしながらも
数時間後に国鉄の駅で出会うあのこ達のことを考える。
一度も会ったことのないあのこは、
彼女が今、会いに向かってることを知らない。
数回会ったことのあるあのこからは、今起きたばかりだとメールがきた。

バッグの中には化粧箱に詰められた辛口の日本酒。
彼女は淡い安っぽい花柄の包装紙を撫でて、
膝に本を載せたまま、窓にもたれて目を閉じた。

雨粒の弾く音が心地よく、頭蓋骨に響いた。



nine stories
j.d.salinger(1953)





dear girls,

2006年01月19日

権現の踊り子



高層ビル 赤光の点滅。
数珠つなぎ 橙色 高速道路の灯り。
くちくちとこびりついた埃色の夜空。
空ろなネオンの白々しい色彩。

バスの窓から眺める 故郷の景色。

私の生まれた街の半分は虚構と妄想でできている。
夢と欲望を喰って、失望にまみれている。
見え透いた金ぴかの安モノに市民は大金を払い、
乞食はブルーシートのねぐらから、その往来を睨み続ける。

高層ビルの赤い点滅が怒った王蟲の目に見える。
際限を知らず空き放題過食し、ぶくぶくと肥える子供のように
この街は、今の瞬間も休む間もなく開発が進む。
林立するショッピングモールの中身はどれも大差なく、
同じようなブランドが詰め込まれているだけだ。
空間の使い方が得意ではないらしい。
大きくて派手なら、なんでもいいらしい。
何百年経っても豊臣秀吉の国である。

空気はどこにいっても臭い。
ここまで臭ければ、禁煙席などに通してもらわなくても同じだろう。
夜中の煮詰まった珈琲は泥みたいな味。

私は確かにこの街で生まれたが、ここを「ああ、故郷だ」
と思ったことは一度もない。恋しく思ったこともない。

私が生まれた街は、部落地区の隣だった。
部落地区に新しく中学校ができて、そこに通うことになったとき、
私の地域の親たちは小さなデモをした。
「自分の子供たちを部落の中学校に行かせたくない。」

自分の親がそういうことにかまっていられないくらい忙しくてよかった。


近所の川は大雨のあと、牛の死体が転がっていた。
巨大な体躯の真ん中は野良犬に食われ、烏につつかれ
ぽっかり穴が開き、萎びた皮がへちゃっと垂れていた。
子供たちは、ばい菌だらけの川でよく遊んだ。
おかげで私の胃腸は現在、たいへん強い。

路地に入るとたいてい
エロ本とぐちゃぐちゃになったティッシュが視界に入る。

よっぱらいのおっさんは昼間からどこにでもいた。
友達のおじさんは、うちに遊びに行くと、
マジックで肩にドラえもんの絵を描いていた。
オトナには嫌われても、こういうおじさんは子供には好かれるものである。

ママンは私の手を繋ぐと、いつもぐにぐにと揉んだ。
私はそれが好きじゃなかった。
骨がかこかこ鳴って気持ちが悪かった。
そして何の因果か、今まさに恋人が同じ事をする。
逆に恋人は、私が手を繋いでいる間に
親指と人差し指を弾き続けるのが鬱陶しいと思っている。

初めて飼った猫は殺虫剤散布の日に自力では帰ってこなかった。
「死」でぎゃあぎゃあ号泣したのはあれくらいである。
初めて「死」に触れた。
ノストラダムスの大予言なんてどうでもよくなった。
そのうち滅ぶのは自分だって同じだと気付いた。


近所で罪人が拳銃を持って逃げたからといって
集団下校をした日もあった。
たくさん人がいると、物騒な人も確率的に増える。

父親は新しい恋人の話をよくした。
いつもデニーズに連れて行ってくれた。
初めて新しい恋人に会った時、
彼女は「そっくりね。」と愛想なく言った。
その日、彼女が作ったサラダスパゲティーは、
今でも忘れられないくらいまずかった。
父はスパゲティーもまともに茹でられない女を
愛してしまうような男だった。
今は生きてるのか死んでるのかさえ知りようがない。


何にもいいと思えなかった。


私は夏休みにクラスメートが奇声を発しながら
駆けずり回る音を聞きつつ、押入れに篭って泣いていた。
特に悲しいことがあったわけではなく、
そうしていないと過ごせなかった。
ママンからの夏休みの課題は「1日1回は外に遊びに出ること」
こんなことを強制されなくちゃいけない小学生を持った母親の心境は
さぞかしやりきれないものだったろうと案ずるに易い。

中学生になってからは、嘘しか言わなかった。
真実も嘘もどうでもよかった。
知り合いやクラスメイトはいたけど、友達はいなくなった。
自ら嫌われるようなことを言っては遠ざかった。

図書室で、本ばかり読んでいた。
若い男の先生に色目を使ったら、
毎日のように電話がかかってきて気持ち悪かった。

ママンの再婚を機に、島に来た。
最初は抵抗をしたけれども
それはこの街に愛着があったからではなく、
むしろ自分の居場所がさらになくなるかもしれないという
不安からとった行動であり、
ママンの決定に逆らえるほど成熟していなかった私は
イヤでもなんでも付いていかなくてはならないことは判っていた。

ただ、ママンの男を選ぶセンスはよくないなと思っていた。
そうしてまんまと、この街から出た。
もう10年も前になる。


故郷に帰っては毎回、
相変わらず、この街が嫌いだと確信する。

市民は青信号になるまで待たない。
とにかく意味もわからず、急いでいる。

先へ、先へ。
もっと、もっと。



権現の踊り子
町田康(2003)

2006年01月06日

madeline



薄い青緑色の軽自動車のハンドルを握り締めるように運転するマァ。
隣の助手席で大きなあくびをするズゥ。
その後ろで、くりくりカールの枝毛を引っ張るチコ。

3人の女の子を乗せた車は、ゆっくり市内を走る。


この高校の同級生たちが揃うのは1年ぶり。
大学生になって、年に1度会うか会わないか。
それが4年続いて、卒業後はまたそれぞれ。

マァは商社の事務と週末のバイトに精を出し、
通帳を開いてはほくそ笑む生活。
完全な休日は有給を使って月に1日。
休みの日でさえ、金はしっかり取るようなバイタリティー。

チコは世界中をフラフラ歩き回り、
ふと帰ってきたかと思うと、毎日スターバックスに篭って勉強をし、
金がなくなってくると適当に派遣の仕事で稼ぎながら
「アフター5が超充実してるの!とか言ってみたい。」
などボヤキながら自由気ままに暮らしている。

ズゥはというと、だらだらと大学に残り、
流行るかどうか微妙な分野の研究をしつつ
細々とバイトを3つ掛け持ちしながらも、
週末のビールにほとんど使ってしまうような生活。


高校生の頃。

自分が車を運転する時が来るなんて誰も考えもしなかったし
それぞれが恋愛や男の話をするなんて、もっともっと考えられなかった。
今じゃありえないと思っているけれど、
そのうち1人ずつ結婚したり、子供ができたりするのだろう。

今思えば高校生の頃、
何を語り合い、何に笑っていたのかさっぱり思い出せない。
それでも校訓の代わりに十字架の掲げられた常に適温な教室で、
毎日毎日、何かを語り、何かに笑った。

毎日毎日。
キチン、キチンと小分けされた時間の中にいた。
今では考えられないくらいの方正な時間の枠。


冬の日差しは柔らかく車内に差し込む。
海岸沿いを抜け、寂れた遊園地のある浜辺で止まった。

線路の上を、ふらふら歩いて砂浜に出る。
「やっぱ30日に開いてるわけないか。」
不定休ののんびりした海辺のカフェは案じた通り閉まっていて
チコは唇を尖らせながらデッキを降りた。

「この際だから、あからさまに流行ってなさそうなダサい喫茶店に行こう。」
とマァが笑う。
「そういうところほど、やっぱり閉まってるんじゃない?」
とズゥ。
ピンヒールのかかとをずぼずぼと砂にめり込ませて遊ぶ。

「景色と全然似合ってないよ。」とマァは笑う。
マァはいつだって大概、大きな口をあけて気持ちよく笑うのだ。


潮風すら柔らかい午後。


「わたしたち、いつまで友達なんかな?」
ズゥはさっき車の中でマァが笑いながら言った言葉を思い出しながら、
線路を引き返す。

いつまで友達かという疑問に
誰一人「ずっとだよ。」なんてありきたりな返事をしなかった。
チコもズゥも「さぁ。」と言ったきり、
車は黄色信号をぎりぎり抜けて、のろのろと走り続けた。


「線路にも似合ってないね、そのブーツ。」
と、今更になってチコもふふふと笑った。


マドレーヌ
ludwig bemelmans(1939)


2005年12月15日

la salle de bain




「早く僕に会いたい?」

「ええ。なぜきくの?」

「君の口から聞きたかっただけだよ。」

「そう。あなた、さみしいの?」

「うん。ずっと君の事考えてる。会いたいよ。」

「そう。たいへんね。」

電話を持ちかえ、空いた方の手を湯にゆったりと沈める。


彼が住んでるのは、ここから1時間ほども離れた、峠の向こうの町。
港があるだけの、小さな町。



電話越しに彼が小さく笑う。

「なんかちょっと、わかる気がしてきた。」

「なにが?」

「君の性格が男らしいっていうの。」


彼女の顎が湯につかる瞬間に、
彼は温かいワインをこくりと音を立てて飲み干す。


「そう。どうして?さっきまで否定してたじゃない。」

「だってね、普通女の子はさ、i miss you tooって返すと思うよ。」

彼は静かに笑う。
目を瞑ると、その気配がぐっとそばに感じた。


「そうかもしれないわね。ごめんなさい。」

「謝らなくていいんだよ。ね。」

彼女はまた電話を持つ手を替え、空いた方を湯につける。

嘘でも"i miss you too" と言えばよかったのかもしれない。
そうすれば、何か大きく変ったのかもしれない。
彼女はとりとめなくそう思いついては、湯をぱしゃぱしゃ指先で叩いた。


雪のちらつく寒い夜に、本当に会いたい人に誰一人会えないまま。
本当にわかり合いたい人と繋がらないまま。
誰の気持ちも交わらないまま。




浴室
jean-philippe toussaint (1985)



2005年12月04日

the mitten




5時15分。昼に霙が降るような夕暮れは
一瞬にして、夜の気配。

彼女はポケットに手を突っ込んだまま
水溜りを避けながら、路面電車ののりばへ急ぐ。

発車時間が迫っているからではない。
寒くてゆっくり歩いていられないだけだ。


ワンストラップのパンプスの踵をカツカツ響かせて
どんどん人を追い抜いていく。
彼女は歩くのが速い。



地下道を抜けて、のりばに着く。
吐く息は、ほぉっと白。


今年初めて、息が白いね。


なんて、悠長なことを言って笑っていられたのは、昼間だけだ。
この寒さは正直、しゃれにならない。
彼女は息をゆっくり吐き出しながら
かじかむ手を温める。

次の電車は10分後。


溜まっていたメールの返信をするけど
手が震えて思うようにボタンを押すことができない。

ようやく2件のメールを返し終える頃になって、
注がれる視線に気付く。

すぐ傍のベンチに腰掛けている人と、視線が合った。


「さっむいねぇ。」
人懐こい、ハリー・ポッターみたいな眼鏡をかけた男の子。

「えぇ。今日はホントに寒いわね。」
と彼女は震えた声で返す。
「そんなとこ立ってないで、こっち座んなよ。」

なぜ、彼女が英語を話せるのを知っているのか。
なぜ、この雑踏の中、彼女にだけ声をかけたのか。
若干不審に思いながら、彼の隣にちょこっと座る。

「どこかで、お会いしたかしら。」
「うん。たぶんどっかで会ったんだよ。
時間と場所は覚えてないけど、君の事はなんか覚えてる。
名前は?」


彼女は記憶を辿る。
確かに、前にも会った。その時は無精ひげだったような気がする。

「ハロウィーン・パーティかな?」
「それは、ありえないわ。この前の、お祭りじゃない?」
「ああ、そうだそうだ!」

そうだ。
祭りの日に、コーヒーを啜っているときに、横でカレーを食べていた人だ。
共通の知り合いがいて、「hi!」とだけ挨拶をしたのだった。


得体が知れ、ほっとした二人。
一時も休まず、話をする。
彼のテンポはすごく速い。
話す速度ではなくて、会話のテンポ。


彼女の青白くなった指先を見て、彼はポケットをごそごそと探り、
毛糸の手袋を
ぽんと彼女の膝元に置いた。

「ぼろっぼろなんだけど、どうぞ使って。」
右手の親指の先がない、グレーと黒の縞々の手袋。

「ありがとう。」彼女はその少し大きい手袋をはめる。
その手を毛糸の上から彼はごしごしこすって温めてくれた。

「ああ!もぅ!こんなに冷たくなっちゃって!大丈夫なの?」


ほとんど初対面なのに、やけにフレンドリーだな。
彼女はくすくす笑いながら、彼の白い手を眺めた。

同じ電車に乗る。
満員のしんとした車内で
二人の声と笑い声だけがやけに響いた。
それ以外は
規則正しい車輪の音と、くぐもった車掌のアナウンス。


電車の中は温かく、彼女は手袋を脱いで彼に返した。
「もぅ大丈夫?」
「ええ。もう寒くないわ。ありがとう。」
「そっか。よかった。」


彼は、ニューヨークの出身だと言った。

「ずいぶん寒いところね。」と彼女が言うと
「どーかな。少なくとも、人間は冷たいよ。」と彼は答える。

初対面の人に手袋を貸して、
さらにその上から、
こすって温めようなんてする人間から見れば
世の中の多くは結構、冷たいだろう。


空気が冷えると、人の温かさが気持ちいい。
肌だけじゃなくて、人のつながり。
そういう理由で、彼女は冬の始まりが好きだった。
同時に
季節によって感じ方が変わるなんてゲンキンなものね、と
彼女は誰にも気付かれないくらいに小さく、鼻で笑う。



偶然同じ駅で降りる。
その、道路のど真ん中で、二人の行き先は別れる。


「じゃ、またどこかで。」
彼女から手を差し出す。
握手をして彼はまた、ポケットをごそごそして
さっきの手袋を彼女に手渡す。

「帰るとき、寒いだろうからあげるよ。ぼろぼろで悪いけど、プレゼント。」

「いいの?ありがとう。」
右の親指の先をちょこっと曲げながら言う。


「じゃ、また。」

連絡先は聞かなかった。

空の広いこの街で
またどこかで、めぐりあうのは
案外たやすいことだ。





てぶくろ
ウクライナ民話

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