2006年04月04日

birthday stories



人の誕生日をきちんと憶えている彼女の誕生日を
私は知らなかった。
だからと言って、
決して彼女をどうでもいいと思っている訳ではない。
人の誕生日をあまり覚えないだけなのだ。
これは言い訳になるんだろうか。

知らないうちに、誕生日を迎えていた彼女は
照れたように笑い、「ゾロメです」と言った。

静かで暖かいカフェで
ヨーロッパの小学校にあるような木製椅子に並んで掛け、
私は真っ赤な唐辛子の輪切りがごろごろ入った
辛いチキンカレーを食べた。
玄米がぷちぷちして、とても甘い。

彼女は私が話してる間、箸を止める。
律儀に耳を全力で傾けるのだ。

そんなだから、食べるのがとても遅い。
そんなだから、私は時々黙った。

そういう沈黙が珍しく煩わしくない女の子だった。


もっと、笑わない子なんだろうと思っていた。
好きな音楽が大体、センチメンタルで根暗のようだし、
私の中のイメージでは、彼女は文章が泣いてる。
恋人ができたときでさえ、
たゆたゆと揺れる夜中の水面のような文章を書いた。
彼女はじっと感情を無機質な文字に押し込める。

その隙間から漏れてくる、かすかなリアルに気付かない時、
私は無闇に心配するほかなかった。

しかし、彼女の文字は何重にも猫をかぶっているのだ。

それに気がついたとき、
私はへたに心配をして、彼女を動揺させることは少なくなった。
と、思いたい。

今私の隣で、半熟卵をそっとくずす彼女は
本当によく笑う。
もっと安心してもいいのかもしれない。

水色の風が桜のつぼみを揺らして空をなくす。
春が来る前に、彼女はやってきた。

そして春が来る前に、
笑顔で手を振ってこの街を去っていった。



Birthday Stories
村上春樹編訳(2006)


お誕生日おめでとう。
*

2006年03月25日

l'homme est condamné à être libre.



磨りガラスのドアを小さく叩くと、すぐに上の窓から声がした。
ドアはいつだって開いている。
この家の主人は極稀にしか、客人を迎えるということをしない。
勝手にドアを開け、鍵は開けたままにしておいた。

この部屋に来るのはまったくもって久しぶりのこと。

脱ぎっぱなしで散らかった大量の靴をよけて、階段を上がる。
西陽の差し込む部屋のベッドに、彼の影がくっきり映える。

「久しぶり。」と彼女がそっけなく言うと彼もちらっと一瞥をして
「ほんと久しぶりね。」と言い、ラップトップの画面に見入る。

彼女はすとんとベッドに腰を下ろした。
彼が見ているのはローカルのyahooニュース。

「なんか新しいことあった?」
「この5分間では特にないわね。」
5分前までメールで話をしていた。
お互いの近況についてはすでにやりとりしたところだった。

「いいニュースある?」
「ないね。あ、このビール知ってる?最高にうまいよ。」
彼はニュース画面の宣伝広告を指差して言った。
「知らないわ。」
「一番高いけど一番うまいんだよ。」
「ふーん。いいな。」

肩が少し触れる。
恋人以外の男の人に触れるなんてことは全く久しぶりではない。
先日も飲んだ帰り道、道路端でプロレスごっこなどして
全身あざだらけになったばかり。

それなのに、なぜか
彼の分厚い肩とタトゥーの残像を思い出して
みぞおち辺りがきゅっとした。

夏の気配。ラズベリーのシャワージェルのにおい。
バルコニーで揺れる洗濯物。
穴の開いたぼろぼろのバスタオル。
彼が手首を掴んだ時の感触。
デオドラントスプレーの靄。
ぎりぎりの欲情、スリル。

あの頃は自由だった。
彼女はひとりぼっちだったけれど
こんなに息の詰まる思いはしてはいなかった。
彼はひとりぼっちじゃなかったけど
もっと1人の時間があった。

「寒かったら入れば。」
彼はそう言って、少し奥につめた。
彼女は床に降ろしていた足を、シーツの間に滑り込ませる。
ラップトップに映る懐かしい風景に見入る。

「今日は全然しゃべらないね。どうした?」
「いつもそんなにしゃべらないでしょう。」
「うそ。いつもっていつだよ。」
「生まれた時からよ。」
彼は笑った。
「変だよ。なんでそんなに静かなの。」

そう聞かれてもよくわからなかった。
私はそんなによく話をする子だったんだろうか。

「唇が休憩中なんじゃない?」
彼女は適当に答える。

テレビでは暗算日本一の女の子が
その能力を如何なく発揮しているところだった。

「おまえこそ、ちょっと休憩したら?」
「今春休みよ。」
「じゃあもっと嬉しそうな顔しろよ。」
「春は騒がしくて好きじゃないの。」

彼はラップトップを足元にぽいと投げると
一気に言った。

「何かさ、違うんだよ。
おまえの人生はおまえのもんだろ。
楽しくないなら自分で変えていけ。待ってても何も動かんよ。
人生は短いんだ。仏頂面してる暇なんかないぜ。」

彼女はぽつりと肯定すると、彼のこめかみに小さくキスをした。

落ちてゆく夕陽が彼の瞳を射抜いて
緑の瞳が落葉のような深みを増した。

「さぁ、仕事の時間だ。めんどい。行きたくない。」
彼は大きく欠伸をすると、ベッドからさっと出て
アタッシェケースに書類を詰める。

彼女は彼の動きを眺めながらダリの絵の時計を思い出していた。
12・・・1・3・4・5・6・7・8・9・10・11・2・12・・・1・3・4・・・・



「人間は自由であるように宣告されている。」
Jean-Paul Sartre


2006年03月07日

coeurs croises



ランプの影が2人を包む。
時間は8時を周ったところ。

彼女の体の向きに合わせて、彼が体を寄せる。
瞳は閉じたまま、肌はぺったりと触れ合う。

シーツの隙間を滑って、
彼は彼女の顔の前で止まる。

「何?」
まぶたを開けると彼の目がすぐそばにある。
彼女の瞳をしげしげと覗く、深い青。

「君の目は本当にキレイだね。」と彼は言った。

きょろきょろと目だけ動かして左右の目を見る。
「特に左目がキレイだよ。」

「そんなこと言ったら、右目がやきもちを焼くわよ。」
彼女は、にやっと笑って彼の頬をつねる。

「え、何だって?」
彼は彼女を手を制し、そのまま拳に唇をつける。

「右目がやきもちを焼くわよ。って言ったの。」

彼は一瞬きょとんとして、ふわっと笑った。
「そうか。ごめんよ。右目ちゃんも素敵だよ。」
彼女の頭を撫でると、右の目蓋にキスをした。

ひんやりしたつま先を彼の脹脛に滑り込ませる。
するすると擦れる綿の音が優しい。



ジャンとジュール
rouja lazarova(2001)


2006年03月04日

斜陽



「あら。コーヒーがないわ。」
彼女は水屋の引き出しや開きをささと開けながら不満気に呟く。

「そうなの。なくなっちゃったの。」
日当たりのいい窓辺で母親が白粉をのせながら言う。

「お茶もないんでしょ。この前から上等なゆず緑茶を入れてるってことは。」
紅茶の缶を開けながら彼女がつんと指摘する。

「そうなのよね。つい。忘れちゃうのよ。」
母親は暢気そうに笑うと眉墨を手に取る。

「手に書いても忘れちゃうんだもの。どうしたらいいのかしらねぇ。」
茶葉が開く間、母親の化粧ポーチの中を物色する。
20代の頃からずっと使っている資生堂のリップブラシは、
今でも新品のような艶がある。ロゴも何も剥げていない。

「誰かが買ってきてくれるといいのよ。」
鏡越しに、小さくて黒目がちな目で彼女を見る。
同じ鏡を見ながら彼女は髪を高いところで結わえようとひっつめている。

視線に気づき、「えぇ。なんなら、買ってきてあげようか?」
と彼女は言う。

「いいのよ。今から買い物に行ってくるんだから。」
と母親は断ったものの、すぐに
「あ。そうだわ。おばあちゃんの買い物もあるから、一緒に来て頂戴。」
と訂正をした。

「いいけど。お茶を飲まなくちゃいけないのよ。待ってくれる?」
と彼女は、カップにお茶を注ぐ。

母親はこめかみに白髪を見つけ、つまんで抜いた。
ストーブの薬缶は湯気を上げ、猫が窓の外で鳴いている。

彼女が紅茶を片手に新聞を広げると、
「少し急いでほしいな。」とだけ、母親が言った。

彼女は新聞をたたみ、寝椅子に投げると紅茶を飲むことだけに専念した。

気分を悪くしたとでも思ったか、母親は
「その髪型かわいいわよ。」と唐突に言った。

「ありがとう。」と彼女はぼそっと言うと、
カップを急いで洗い、居間を出た。

冷たい水で顔を洗う。
紅茶じゃあまりすっきりしない。顔を拭きながら窓を開けてみる。
日差しは柔らかいけど空気はぱきんと寒い。

週末が始まる。



斜陽
太宰治(1947)

2006年02月11日

L'Epinard de Yukiko



彼は徐にシャツを捲り上げると
彼女の遮る手を掴み、おへそにキスをした。

「こしょばい。」

彼女はきぃきぃ笑った。
なぜ、おへそが彼の心をこうも強く掴むのかは、わからない。
腹筋の痙攣と呼吸困難。
おかしくも何とも無いときの笑いほど気が滅入るものはない。

彼女は力いっぱい暴れて、彼の手と唇から逃れようとする。
彼の右頬に思いっきり平手打ちをかまし、漸く解放されると
さっさと水色の毛布の中に潜り込んだ。

毛布の中で侵入口を塞ごうと、もぞもぞしている彼女を見て、
昨日の午後ホームセンターで見たフェレットを思い出した。

二人は20分ほどしゃがみこんで観察していた。
「こいつら君に似てるね。特にあの、手の白いの」と言ったら
彼女は眉間にきゅっと皺を寄せ、頬をぷっと膨らせて拗ねた。
その横で店員が「ええ。そのこだけ、女の子なんですよ。」と
目を細めて言った。
この中年の店員はいつ見かけてもフェレットと戯れている。
日本にも暢気な商売があるものだなと彼は感心したものだった。

「やっぱり似ているじゃないか。」
と彼は毛布の上から彼女をくすぐる。
「じゃあ私もやつらみたいに噛むわよ。いいのね・・・」
手だけ、突然毛布から出すと彼の腕を引きずり込む。

「痛い。まじで痛いって。ちょっと加減しようよ。」
手のひらの外側に激痛が走る。
慌てて手に力を入れて引っ込めたが、
彼女は毛布を跳ね除けて僕の腕を追いかけ、掴みかかった。

「あんななまっちょろい愛玩動物と似てるですって?」
先ほどキレイに後ろで巻いてまとめた髪は
毛布に潜るうちにピンが落ちてしまって、中途半端に乱れている。
目にかかる髪をどけてやると、彼は宥めるように話した。

噛まれた部分はうっすら歯型がついている。
こうして見ると彼女の歯並びも見た目よりはよくないことがわかる。
規則正しく並んだ点線の1本がぴょこっと斜めを向いていた。
「いや、似てない。降参するよ。君のほうがずっとタフだよ。」

「当然でしょ。」
彼女は彼の上に馬乗りになって胸座を掴むと、
彼の首元で猛獣のようにぐるぐる唸り、齧りつくふりをした。
彼が彼女にするのと同じように。
背筋がぞわぞわとするくすぐったさに彼は悲鳴をあげる。
「やめて。まじで、きつい。」

「あら、これをあなた、いつも私にしてるのよ。」
胸座を掴んだまま、彼女は身を起こす。
彼の目をじっと見入る瞳に彼は自分の顔を見つける。
彼の頭のすぐ横にある、
水のたっぷり入ったピッチャーも、辞書も、シーツの皺も。

「あぁ、ごめんよ。こんなにきついなんて知らなかった。
いつも君、笑ってたから。」

「別に楽しくて笑ってるわけじゃないって何度も言ってるじゃない。」

「や。本当にごめんね。だからもうしないで。」

彼女が仕事に出かけるまで、残り1時間強。
今日が休日だったらいいのにな。



ゆき子のホウレン草
(2001)

frederic boilet


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