2008年01月15日

TUGUMI




西武新宿線の乗り場で彼女は「あ。」と息をのんだ。
乗り場を間違えたのだ。都心側へ向かうのは、向こう岸。
小さな駅に連絡通路などなく、
彼女はすたすたとホームの端までいくと、
1mちょっとはある段差を飛び降り、踏み切りをかけ渡って、
駅員に説明し、正しいホームに難なく足を下ろす。

後ろから何か大騒ぎでついてきた男がようやく
彼女に追い着く。
「きみは、本当に猫かアダムみたいだな。
あの段差をいきなり飛び降りるなんて。」

アダムというのは、彼の元同僚で、
休みがあればヒッチハイクで田舎を旅したり、
何日もかけて山を登ったりするような男で、
真夏日に暑いからといって、
裸足、上半身裸で自転車に乗ってぶらぶらするような
ワイルドというか、厳しく言えば非常識な男だ。

「まぁ、アダムとは気が合うところはあったわね。
でもたいしたことじゃないわ。近道よ。」

雪がふりだしそうな寒空のプラットホーム。
最終電車まで、あと5分。徐々に寒さがいらだちに変わる。

質のいい、完璧な無濾過の日本酒をしこたま飲んで、
しばらく体の芯まで冷えることはないが、
頬や指先はびりびりと冷える。


彼女は、酒に酔っ払った時の、自分の男が嫌いだ。
言うこと、すること、すべてが癪。

電車がホームに滑り込む。
ホームにまばらにいた人たちが残らず吸い込まれる。

「見て。あの端に座ってるおじさん、ケータイ2つ使ってるよ!
おもしろいね!」

「別に。」
彼女はちらっと端をみただけで言い放つ。
別になにも珍しいことではないし、
携帯端末を2つ持っているのは彼だって一緒なのだ。

「ねぇ、みんなケータイを使っているね、おもしろいね。」

「そんなの普通だよ。ぎゃーぎゃー騒ぐな、みっともない。」
彼女は、まっすぐ、窓の外を凝視して言った。
酔っ払っている時の、この男は誰よりも嫌いだ。

「なんだよ、その言い方。」

「調子に乗んなさんな。
おまえこそ、脳みそ垂れ流したような、
くだらないことばっかいってんじゃねぇよ。
ちょっとは、シラフでもの言えよ。
置いて帰るぞ。」

彼女はぎろりと彼をにらみつけ、
またぷいっと視線を外に向ける。


山手線。さすがにこの時間は空いている。
二人は並んで端の席に座る。

「君が本当に僕のことを愛しているのかどうか、
時々まったくそう思えなくなるよ。」
彼は赤い目でそういった。

「またかよ。」
彼女は唇だけで呟いて、はぁと大きなため息を漏らした。

電車は鶯谷を過ぎる。
ラブホテルの寂しいネオン群が窓の外を流れていく。

「そうじゃなかったら、一秒だって一緒にいやしないわよ。
私はそういう女だって、何度もいっているじゃないか。
何度も言わせるな。鬱陶しい。」

「それは答えになっていない。」
彼はそういって、諦めたような顔をした。

「あんたさぁ、愛って常に一定だとでも思ってんの?」

「一定?どういう意味?」

「どんなに愛していてもね、
嫌いになったり、鬱陶しくなったりすることはあるのよ。
人間なのよ?利己的な生き物なの。
私は母も弟も愛してる。そんなとっても大事な家族ですら、
時々鬱陶しいと思うことあるもの。
あんただってそうでしょう?
家族ですら、時々嫌いになること、あるでしょう?
一定じゃないの、愛は。とっても流動的なものなの。
概して愛していれば、それでいいじゃない。
一瞬乱れたくらいでいちいち
ガタガタ騒ぐほどのことじゃないんだよ。
だいたいさ、大げさなんだよ、おまえは。」

彼女は、一瞬呂律が回らなくなったけれども、
ばっと吐き出すように言った。
彼女が彼にこんなふうに思想を話すのは、久しぶりのことだった。
それだけでもう、彼を満足させるに足りた。

彼は「すごく正論だね。」と言った。
彼はふふふと微笑んで、愛おしげに彼女の横顔を見る。
酒のせいで頬はふっくり赤いが、
視線はしっかり、前を見据えている。

きゅっとつぐんだ唇に触れる。

「なんだよ。触るなよ、恥ずかしい。」
彼女は彼の手を迷惑そうにはたきのけた。

「僕のねこちゃんは、老成しているね。
僕よりもずっと中身は大人だ。」

「あんたが幼稚すぎるだけだ。ほら、降りるぞ。」

そう言って、ドアの前に立つ。
彼女の小さな背中に彼はそっと手を置いた。

もう3年近く一緒にいるのに、彼女の考えていることは
いまだによく判らないことばかりだ。
とらえたと思ったら、また新しい一面で煙に巻かれて、
いつまでもひらひらと捉えどころがない。

いつまでたっても、彼女の実体は、
彼にはよくわからない。
すぐそこにあるのに、よくわからなかった。


TUGUMI
吉本ばなな(1989)


この記事へのコメント
あ。気づいた。
私の会話は脳みそ垂れ流しの会話だ。。。
Posted by ありんこ at 2008年01月15日 16:22
●●●ありんこちゃん
そうだね。。。。。って、30こえた男と、おきゃん(これ死語?)な20代半ばの女子じゃ、許容制限域にかなりの違いがあるので大丈夫。そしてあなたがはしゃいでる様はかわいいし。相方が酔っ払ってアホいってるのとはわけがちがうからね。
Posted by neco at 2008年01月16日 11:12
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/78530841
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。