2008年01月10日

Chevreuil



まだ12月にもならないのに、街は5時にもなると暗く、
街路樹に巻きつけられたイルミネーションが
じゃらじゃらと賑やかに瞬く。

渋谷駅を降りると、TGIFめざして走る。
誕生日パーティをしている友人に
艶っぽい紫のブーケと美術館のペア招待券をプレゼント。
テキーラのショットを一杯祝いに空け、ハグとキスをし、
今夜一緒に祝えないことをたくさん詫びると、
自分のテキーラ代だけ置いて、すぐに店を飛び出し、
今度はタクシーを捕まえ、飛び乗る。

約束の時間は7時半頃。

「ミッドタウンの北西側まで。」
タクシーの運転手は一瞬間をおいてききかえす。
「北西側って、どこ?」
「乃木坂駅に近いほう。」

無愛想な運転手だったが、かなりとばしてくれたおかげで、
半ば諦めかかったが、7時半ちょっとすぎには着いた。
約束の場所は閉館で、受付の女の子に確認をとって、中に入る。

暑い。
彼女はコートを脱ぎ、近くのスタッフに彼がどこにいるかをきいた。
そうして、待っているうちに、
彼はお手洗いの方からすたすたとまっすぐ歩いてきた。

「あれ。今日聞いてたの?」
「いいえ。ちょっと間に合わなくて。
すみません、今ついたところです。」
「そう。残念だったね。じゃあ、30分くらい待っててくれる?
打ち合わせが終わったら、その辺で何か飲みましょう。
ビールは好きですか?」
「はい。大好きです。」

彼女は、顔がふわっと赤くなるのが自分でもわかった。
走ったせいだ、テキーラのせいだ、空調があつすぎるせいだ。
そう思ったけど、それだけじゃないのは一番わかっていた。
心臓がうるさい。

「じゃあ、終わったら携帯に電話するから。僕の番号は知ってる?」
「いいえ。」
彼はさらっと携帯の番号を彼女に教えて、
「Staff Only」のドアの向こうに消えた。

彼女は脱力したような足取りで、階段をあがり、表に出る。
冷たい夜風が頬に気持ちがいい。
青いじゅうたんのようなイルミネーションを左目の視界の端において、
近くのベンチに腰を下ろし、読みかけの民俗学の本を読む。
携帯は、かばんから取り出して、横に置いた。

結局携帯が鳴ったのは、40分以上過ぎた頃で、
彼女の頬はすっかりひえてしまったので、
屋内の犬用品店の前のベンチに場所を変えていた。

「遅くなってごめんなさい。今どこですか?」と彼はいい、
「いえ。えっと、これはどこといえばいいんだろう。
犬屋さんの前です。」と彼女は答えた。
「あぁ。入り口のところのだね。わかった。すぐいくよ。」
”犬屋さん”という表現に対して苦笑しているのが
電話越しに聞こえる。
彼女はしまったと思った。流れてしまいたくなった。

彼は間もなく現れて、二人はフロアを歩きだす。
木質のフロアは歩くとこつこつと硬い、いい音がする。
メインゲート側に出ると、
イルミネーションの大きなツリーがあった。
「わぁ。すごいね、これは。もうこんな季節なんだね。」
彼の率直な感嘆に、彼女もつられて「わぁ。」と呟いた。
あまりイルミネーションなどに心をひかれることはないのに。

すぐ近くのバーの2階にすたすたあがる。
スタッフたちが途端に慌て始める。
彼はオーナーの友人で、ここにはよく来るのだそうだ。

ペールエールを頼み、ざくっとグラスに注ぐ。
半分も入れないで、わしわしっとグラスを回す、
彼のそんなしぐさに目が釘付けになった。

品のいい形をした、大きな手。

他人行儀のままカンパイをして、他愛もない話をするうちに、
日本は牛肉とビールだけはイケてないという点で意見が一致した。
ビールはエビス以外認められない。
他のビールは米の味がする。べっとりと甘い。
テーブルを挟んでいても、ぐっと距離が縮まる感じがした。
食べ物の嗜好が似ている人とは気も合いそうな気がするものだ。

彼は彼女に「若いのに」とか「女性なのに」という言葉を使わない。
対等に、話をする。そういう姿勢が自然と表れている。

「私ね、はやく年をとりたいんです。」
組織の話をしているときに、彼女はぽつりとそういった。
「そしたら、もっといろいろやれるのにって思う。
若いのは枷が多すぎるっていうか。」
「そうだね。僕も若い頃よりも今の方が思うように、
ずっと自由にやれてると思う。周りの反応も変わってくるしね。
ちゃんと話をきいてくれるようになってきてる。」
「若さにこだわる方も大勢いらっしゃいますけどね。
私はそういう理由で老いた人がうらやましい。
って、あなたが老いてるっていってるんじゃないですよ。」
彼女は彼にならって、グラスにビールをざっと注ぎ、まわした。
彼は、はははと笑って「もうすぐ50ですから。」と言った。

「でもね、若い頃にそういう思いをするのは大事ですよ。
僕にもそういう焦りとか苛立ちとかがあったから、今がある。」
「本当?」
「そうですよ。そういうのを忘れないで、
時期が来るのを待っていればいいんです。
何にでも、適切な時期はめぐってくるものです。」


成果をすぐに出さなくてもいい。

そういわれた気がして、彼女の心はふっと軽くなった。


「これ、おいしかったね。おかわり頼んでもいい?」
空になったシェブルイユのタタキの皿をじっと見て、彼はいう。
彼女はその時、なんだか、かわいい人だなと思った。
少し、大学時代の担当教官に似ている。
「えぇ。私もこれ、もうちょっといただきたいです。」

「やっぱり、おいしいお酒とごはんを
ちゃんとおいしそうに食べる人と一緒だと、楽しいね。」
「その点では私、今のところ妥協してません。」
「はははっ。あなたは、正直そうだからね。
すぐつまらないと思っているのが顔に出るでしょう。」
「えぇ。だから、最初から断るんです。嫌な予感がするときは。」
「僕、若いときは我慢して出席してたけどなぁ。そういうのも。」
「実り、ありました?」
「結果的には・・・なかったね。ははは。
もう付き合いないね、そういう人たちとは。」

彼女はにこにことして、ビールをごくりと飲み干す。
オレンジのようなさわやかな香りが、すっと抜けていく。

「おいしいモノに申し訳ないことをしてきましたよ、僕は。
今は、もうそんなのは全部断っていますが。」

「正直なのはお互い様ですね。」

はやく彼に追いつきたい。
彼女はふとそう思って、そのハードルの高さを目前に実感しながら、
届かない気もしなかった。
それも若さが所以するものだと思ったのだけれど。

この記事へのコメント
この前いったばかりの場所を思い出しました。素敵な知り合いがお江戸でできて何よりですなあ。信頼と人間関係とひけらかさなくても自然ににじみ出る自信は、一生の財産だと思うもの。そして猫さんのプレゼントのセンスのよさに、脱帽。ぽぽぽ。
Posted by はじっこ at 2008年01月12日 11:57
●●●はじっこさん
年末も年始も楽しかったですね。

「彼」はやっぱり、なんだか学部長に似てます。学部長をもっと、センスよくしたかんじ。学部長は柱的考え方をするけど、「彼」は面的な考え方をするっていう違いはあるけど、天然っぽいとことか、永遠の「おぼっちゃん」なとことか、そっくり。

そのうち「彼」のことも呼び捨てにできるくらい仲良くなりたいですわ。
Posted by neco at 2008年01月13日 11:34
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