2006年08月01日

carlsberg



本当は20分前にも一度、ここでドアをノックしたのだ。

下駄をカラカラ鳴らせながら、門をくぐって階段を降りると
「来ないのかなと思って心配してたよ。」と
暗がりの中に彼の微笑みが見えた。

「ごめんなさい。ワルネに寄ってて。
本当は、少し前にも来たんだけど、あなたいなかったから。」

8時に会う約束になっていたのに、
メールの返信をしていたり、
直前で友達と出くわしたりで、10分遅刻してしまった。

「そうだったの?ごめんね、CD屋に行ってたんだ。
今日は仕事休みで、ずっと部屋で絵描いてた。
君は?キノコはどうだった?」

彼は屈託なくのんびりと言葉を紡ぐ。
彼女はほっと安心して言葉を探した。

「キノコはね、私も嫌いだと思う。」
彼女がにこりと笑うと、彼もにこにこと笑った。
「それがいいと思うよ。」

「今日は雨がずっと降ってたから、部屋で報告書を読んだりしてたの。
あ、あと私のお手伝いさんがきたわ。すぐ帰ったけどね。
雨だから、どこにもいけやしないもの。」

「お手伝いさんって?」
「論文書くためのデータ収集のお手伝いさんよ。」
「それができないと卒業できないの?」
「えぇ。できないわ。」

彼は感嘆に鼻の奥をふぅんと鳴らした。

「ね、いつバーに行くの?」
「今からだよ。バイクを借りたんだ。行こう、行こう。」

この街の中ならヘルメットはいらない。
市場の前に交番はあるけど、
ノーヘルなんかじゃいちいち呼び止めないし、
夜には誰も駐在していない。

バイクの後ろに乗る。
彼女は片手だけ、彼のパーカをちょっとつまんだ。
腹部の温かさが伝わってくる。
伸びた髪の隙間から男モノのシャワーコロンの香りがした。

夜露に頬がしとしと冷える。
彼は途中のコンビニで煙草を買って
すぐそばのバーの奥にバイクを止めた。

そこはいかにも正統に、バーだった。
この島に来て半月経つが、
彼女は一度もこういった
インターナショナルな雰囲気の店に入ったことがなかった。

高いカウンターの椅子、様々な銘柄のビールサーバー
エスプレッソマシーンに、色とりどりのリキュール。
慣れているはずの雰囲気に彼女は息をするのも忘れた。
ぽかんと開いた口を漸く閉じて目を凝らす。
隅でアンプの調節をしている人たちが目に映った。
そうだ、こういうのが元々私の世界のものだったんだ。
彼女はやけにしげしげと店内を見渡した。

ロビと彼女は同じビールを頼んだ。
店員も客もみんなロビに挨拶をして
「ところで、彼女は誰なんだ?」ときいた。
そういう時、彼らは好意と好奇心と少し下世話な笑みを湛えて
彼女をじっと見つめるのだった。

彼女は少し遠慮がちな微笑みでもって返事をした。

この店に集うのは、多くは長期滞在の外国人だ。
世界中の芸術家が沢山集まるという街の
この小さなラウンジで毎週水曜日、世界中のミュージシャンが
それぞれ数曲プレイする。順番は決まっていなくて、
「次、俺!」と申告するか、
「エリック、頼むよ!」と推薦されるかでアクトが決まる。

「ロビ、今夜は弾かないの?」
彼女は唇についたビールの泡をぺろんと舐めると
ようやく気分が落ち着いて、口を開いた。

「わかんない。いつものボーカルの友達が
腹痛で来れないかもって言ってたから。」

「そう。大丈夫かしらね。」

彼女は心底、耳に慣れた音楽と雰囲気を楽しんだ。
楽しんだというよりも、徐々に郷愁に近いものに変わっていた。

ロビは隣で次々とやってくる客たちと談笑し、煙草をよく吸った。
それでも必ず、彼女が曲の終わりに拍手する時には、
同じように手を叩き、彼女の目を見て微笑むのだった。

客が多すぎて何人もが座れない状態になってきた頃、
「じゃ、次の人は誰かなぁ。」と
プロフェッサーと呼ばれているおじさんが
汗まみれでマイクを握った時、
「ロビ!ロビ、ロビ!!」
と、どこからともなく声があがった。
ロビは周りの人に押されるように前へ出て、
ジルバブをかぶったムスリムの女の子もその後に続いた。
ロビは彼女と目が会うと、少し困ったように笑った。

ロビと女の子は
イマジンとレット・イット・ビーを歌った。
女の子はうろ覚えなのかよく間違えた。
その間違えっぷりは
コントのようなタイミングで、店内は明るい笑いで賑わった。

ジルバブの子はアチェから家族で亡命してきた。
この国は一つだけど、バラバラだ。
一つになってまだ60年しかたっていないのだから。

最後にインドネシア語の昔の歌を、
とても4人の子持ちには見えないお兄さんと2人で歌って
ロビはギターを置いた。
まっすぐ彼女のもとへ来て、
「随分遅くなったね。帰る?」ときいた。
今までのショウが何でもなかったかのように。
「あなたが帰りたい時に、一緒に連れて帰ってください。」
彼女は周りの人と同様にまだ拍手をし続けながら言った。
彼は微笑んで軽く頷いた。

「あー、緊張した。人、多すぎ。」
ロビはふわっと笑って、息を大きく吐くと
歌う前に消した中途半端なしけもくに火をつけた。



carlsberg
たまにはビンタン以外がおいしぃのです。


この記事へのコメント
アワをペロンとなめるの猫らしいですね(猫さんの呼び捨てじゃないですよ!)

あなたが帰りたい時に、一緒に連れて帰ってください。このフレーズがお気に入りです。ガヤガヤうるさい中でのこのフレーズが。ボンヤリ酔っ払いたいナァ。

Posted by ありんこ at 2006年08月01日 11:36
夜誰も駐在しなくなる交番・・・自分が違法行為をやらかす側なら都合はいいけれど、助けを求める側だったら、と思うと考えちゃうね。いろよ、警官。
スカーフの子が予定してたボーカルの子なのかしら?それとも即興コンビ?
Posted by うに at 2006年08月01日 12:38
●●●ありんこさん
ぺろりぺろり。

この夜はなんのイベントやねんってくらいの人数でしたわ。その週の日曜日には売上の17%をジョグジャに寄付するライブイベントやってました。

10歳のビオラ奏者の子も毎週お父さんと一緒にきてるらしくって、なかなかアットホームなお店でした。
Posted by neco at 2006年08月01日 16:44
●●●うにさん
警官ねぇ。警官すらゆすったりたかったりする国ですから、いなくても別にいいっすわ。

スカーフの子は即興コンビですね。普段のボーカリストの男の子(アメリカ人)は腹壊してて、渋いおっさんのコーラスだけやって帰りました。かわいそうに。
Posted by 猫 at 2006年08月01日 16:47
ビールはやっぱり好きになれないなぁ。
あの喉越しが嫌い。美味しくない。さて、寝るかな・・・
Posted by keiko at 2006年08月01日 23:12
●●●keikoさん
おいしくないですかー。ひとそれぞれですねぇ。私はチューハイが嫌いです。甘いお酒は基本的にカクテルもキライ。すこぶるドライで激甘ならハナシは別。
Posted by neco at 2006年08月02日 00:16
キノコはそんなに楽しくなさそうですねえ。。
↓の記事で、猫さんが、恨みを買わないような、上手なやり方で相手をやり過ごしたところにさすが!と思いました。。。。職業柄??

私もチューハイとカクテル嫌いです!!存在の意味が分からない笑。甘いのはジュースで十分だ。と思うんですけど、甘いお酒が好きな人もいるんですよねえ。
Posted by カルメン at 2006年08月02日 01:50
●●●カルメン
楽しい人ははまっちゃうらしいよ。それでラリってお金騙し取られちゃう日本人観光客のゆるさが同じ立場でも理解できない。無用心すぎるよねぇ。

職業柄て。私の仕事ってなんなのさ?
まぁ、はしょった部分には「5分だけですぐ済むからさー」とか「さきっぽだけでいいからさー」とかいうやりとりはあったんだけども、やりすごしたねぇ。
本当は宿のワヤンにも犯されそうになったんだが、あれもやりすごしたねぇ。
なんだかんだ1ヶ月で4人に犯されそうになってんね。女の一人旅は大変ばい。調査だから普通の観光では踏み込まないとこまで人間関係踏み込んじゃうしねぇ。

甘い酒は酔わんくせに頭が痛くなるんだよねぇ。
Posted by neco at 2006年08月02日 02:25
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