2008年05月01日

My Blueberry Nights



ダンスのレッスンが終わって、
火照った頬に夕方の空気が気持ちいい。

いつまでも終わらない、隣のビルの外装工事は、
いつのまにか水道管工事にまで拡張し、
徹底的に新しくしてやろうという威勢を感じる。

すっかり帰り支度を済ませた彼女は、入り口のところで、
煙草を口に加えたまま、バッグから薄紫色のコロンをとりだし、
首元にしゅしゅっとふりかけた。
吹きかける位置が、肌から近すぎたせいで、
霧のようにふきでたはずの液体は、彼女の首元をだらだらと垂れた。

「近すぎた。」
彼女は困ったように笑って、それを手でぬぐった。
私は「私にも分けて。」といって、指先でぐいっと拭うと、
耳元にそのまま擦り付ける。

アルコール依存症の彼女は、ビールを飲んでいないと、
体がカタカタと震える。
煙草の火をつけるのもカタカタとしてなかなかつかないので、
私は「やってあげようか?」ときく。

彼女はえへへと笑って、ライターを私に渡す。

一息、ふぅっとKOOLの煙を吹き出して、彼女はにこにことした。
私は手持ち無沙汰に彼女の前につったったまま、
リップクリームを塗った。

「ねぇ、なんで先週来なかったの?」
私はきく。彼女はえへへと笑って、煙を吐く。

「公演会の後、もうトラウマみたいになっちゃって。
ダンスのこと、考えたくなかったの。」
うふふ。彼女は貼り付けたような笑顔でそういう。

「やっぱり。。。」
私もうふふと笑う。
私も公演会の曲を聴くとなんだかドキドキしてしまって、
あれだけ繰り返し聞いていた曲は
全部ipodから消してしまった。

「それからさ、私彼氏にふられちゃった。先週。」
彼女は震える手で煙草を口に運ぶ。
顔も声も努めて明るくしているのがよくわかる。

彼女がもう彼しか見えないくらい大好きだったのは、知っていたから、
そうやって極めて明るく「ふられちゃった」といえる彼女の
今の気持ちが、私にはよく見極められなかった。

彼といえば、公演会の最終回に、最前列で観に来ていた。
私は眩しいライトの中で、
私は自分の彼を見るついでに彼女の彼もみた。
実際私の彼はというと、8列目くらいにいて、
ちょっと表情までは確認できなかったけれど。
彼女の彼氏は、じっと、彼女の方を観ていた。
舞台にいる他の女の子の事なんて、眼中にないように、
ずっとずっと彼女ばかりみていた。
踊りながら、私は妬けた。
ちょっと位、私を見なさいよと思った。
舞台で踊ると、そういうエゴが丸出しになる。
そしてそれが許される。不思議な感覚だ。

公演が終わった後、
その彼氏は彼女に500mlのスーパードライを差し入れして、
二人で並んで、おいしそうに飲んでいたのを思い出した。
それから、
「2週間ぶりに会った〜。」と嬉しそうに楽屋に戻ってくる
彼女の顔も。

あ。
ふられちゃったんだ。

私は唖然として、言葉が浮かばなかったので、
「よしよし。」といって、彼女の長い髪を撫でた。

「ダンスがんばって、かっこいい男の人ひっかけてやるっ。」
彼女は力なくそういった。
小さく握り拳なんて作って、突き上げてみたりしている。
小刻みに震える色の白い細い腕が、青い空気の中で溶け出しそう。

私は、「そうだ、そうだ」と彼女を鼓舞した。

「でも、たくさん泣いた。」
彼女はぽつり言って、
小さな携帯灰皿に短くなった煙草をねじ込む。

「失恋だもんね。」
私は彼女の前に突っ立ったまま、そういった。
ラップトップとファイルでぎゅうぎゅうになったバッグが
肩に食い込む。

こういうとき、自分より5つも年上の女の子に対して、
どういう言葉をかけるべきなんだろうか。

「うん。失恋しちゃったからねぇ。」
彼女は立ち上がる。細い細い足首。サイケな柄のタイツ。

「ねぇ〜、初回に観に来てくれてたサラリーマンっぽい人って誰?」
彼女が腕にくっつくようにして聞く。

歩きはじめながら私はにやっと笑う。
「おっともだちぃ〜だよ。」
客席に、他にスーツを着てきた人なんていなかった。
窮屈そうにあの人は前から6列目に座っていた。
スモークときつい照明の中で目を凝らすと、
彼はじっと私だけ見ていた。
私は彼に笑顔を向けた。そうすると、彼も微笑んだ。
薄暗い客席でも、それは十分確認できた。

「おっともだちぃ〜かぁ。」
彼女は暢気な声で繰り返す。

街灯のともり始めた商店街で、
おせんべい屋さんの前は、甘しょっぱい香りがした。


My Blueberry nights
(ウォン・カーウァイ、2007)


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。