2008年01月31日

Poltergeist



宝石のような、色とりどりのガラス瓶の中から、
僕は真っ青な瓶を選んだ。
「メディテラニアン」という名の通り、海のイメージの箱。
赤い小さな紙袋に入れられ、手渡される。
やたらに肌の白い店員は愛想よく微笑み、
僕は「謝々」と言い、店を出た。

何十分もかけて、彼女のイメージを探りながら選んだ。
彼女は喜んでくれるだろうか。
それとも好みに合わず、迷惑に思うだろうか。
香水を使っているのかどうかはわからないが、
彼女の肌はいつも石鹸のそれではない、いい香りがする。
香りをつけること自体を嫌う娘ではないはずだと思いたい。

もう1週間近く、彼女とは連絡をとっていない。

飛行機の座席にかけてすぐ、書類に目を通し始めるが、
ちっとも内容が頭に入ってこない。
彼女もこの会議にはくるだろうかと思いつけば、
それから延々、彼女を思わずにいられない。

東京に戻ったら、すぐにでも会いたい。
お土産を渡したいといえば、必ず会う理由になるだろうが、
何もないまま、会う約束をとりつける自信はあまりなかった。

僕の悪い癖は、こうしてしばらく彼女に触れないでいると、
こんな幸せが長く続くはずはないという強迫観念が増し、
不安になってしまうところだ。

僕は不安を打ち消すように、
最後に会ったときの彼女のことを思い出そうとした。
柔らかい肌やきれいな唇を思った。
僕の体に巻きつくしなやかな腕を思った。
彼女といる時間は本当に幸せだ。
もう疾うに忘れかけていた気持ちを彼女はもたらしてくれる。


飛行機は最終電車に間に合う時間に到着した。


翌日。午前。
メールの受信箱に彼女からの新しいメールは届いていなかった。
彼女にメールを送ろうと思うけれど、なかなか筆が進まない。
どんな風に書き出せばいいだろうか。
迷惑だと思われやしないだろうか。
しばらく悩んでも案がでない上、次第に不安になってきたので、
気分を切り替え、仕事のメールの処理を先に進める。

午後。
やはり、筆が進まないので、
たまっていた仕事を先に処理してしまう。
3時から、新宿で打ち合わせ。かるく夕食も済ませ、
7時過ぎにはオフィスに戻る。
9時前、ようやく彼女にメールを送る。
件名でしばらく悩み、「事務連絡」とした。
その後しばらく返信を待ってみたが、来ないので帰宅。

週末。
気が気でないままだが、
子供たちと過ごせば、かなり気がまぎれる。
彼女は週末でもメールは確認するようなので、
もう返信がきているのではないかと、
休日に職場になど行きたいとは思わないのだけれど、
気になって仕方がない。

週明け。午前。
職場に着くと、何よりもまず、受信箱を開ける。
彼女からは3通もメールが来ている。
内容は、いつもと変わらない調子で、
行間を適宜空け、うちの母親でも書けないような、
やたらと丁寧な言葉を連ねているが、
どこか若々しいノリのいいところもあるといった、不思議なメール。
僕は心底安堵し、また彼女が僕を気遣ってくれていることがわかり、
それこそ、飛び上がらんばかりに僕はうれしかった。
1通目は会える日と、食事は何でも構わない事、
2通目は、「おまかせしてばかりでは困ってしまうでしょうから」と、
いくつか店の候補を挙げてくれていた。
「必ず、これらの店でなくてはいけないということではありません。
お好きなお店があれば、其処へ連れて行って下さい。」と、
但し書きまでしてくれている。
そして3通目は、予定を繰上げたので、火曜日も空いたとの連絡。
そして新しく洋服を買ったから、
少しおしゃれをしていきますと書いてあった。
(きっと、貴方の好みだと思いますから、御楽しみに。)とも。

僕と会うために予定を調整してくれたり、
服を新調してくれたのだろうか。
最初は目を疑い、何度も画面を覗き込んだ。
僕のためだけ、というわけではないとは判っていても、
心の中だけに留めている分には、そう都合よく、思い込んでいたい。

僕はすっかり感激して、しばらくその幸福感の余韻に浸り、
昼前まで返信を出さずにいた。

そんなふうなことを告白する僕を
彼女は「大袈裟なんですね。」といって笑うのだが、
僕にはそんな彼女のすました態度もかわいくて仕方がない。
そういいながらも、顔を少し赤くして、
冷たい指をあて、頬を冷まそうとするしぐさを、
ありありと思い浮かべる。

それだけで僕は、なんだか沸騰しそうな気分になる。

本当は今夜にでも会いたいが、
せっかくおしゃれをすると彼女がいうので、
明日まで我慢することにする。


椎名林檎
オフィシャルサイト

ポルターガイスト
平成風俗大吟醸 ver.

2008年01月24日

breakdown



オフィスの長机に向かい合って作業をする。
自分の席は別にあるのだけれど、
わざわざミーティング用のデスクで作業をしているのは
暖房の熱が届かなくて寒いせいだ。
大型のエアコンはミーティングコーナーの真上にある。

彼女は文献からデータ収集。
べらべらとページをめくっては、
付箋にちまちまと小さい字を書き込み、
無造作にべたべたとはりつける。
脇には今終わったばかりの文献、大使館でもらった付箋、
豆乳、ペーパーブランクスのスケジュール帳、野帳。

彼はラップトップでデザイナーとのやり取り。
音楽は90年代のガールズR&B。

2人はぼつぼつと、会話をした。
元々最初からオフィスで2人きりの関西人同士ということで
違う部署にも関わらず、仲はいい。

彼は、ルックスも甘えた性格も女にうけるのか、
ものすごくもてるらしく、常にガールフレンドは複数いるらしい。
今ガールフレンドが何人いると思う?と彼が聞くので、
彼女はふーんと唸って、「3?」と言った。
目は横文字を追ったまま、あきらかに関心のなさそうな様子で
まるで職場の一番の古株に対しての態度には見えない。

「3人と思う?はずれー。」

「じゃあ何人なんですか?」

「秘密〜。」

「じゃあ聞かないでください。」

彼女は緑の付箋をぺりっと一枚はぐと、ちまちまと字を書き、
べたっと左のページに貼り付けた。
音楽はアリーヤのデビュー曲が鳴っている。
懐かしく思って、少し耳を集中させる。

「人って謎があるほうが、魅力あるやん。
いい人やな〜って、いい人もええねんけど、それだけやん。」

彼は、そのトピックを続けた。
別に女が何人いようが、彼女の知ったことではないので、
謎にも満たない、魅力にならないということを言おうかと思ったが、
面倒くさいので彼女はそのままにしておいた。

「それはわかりますよ。じゃ、私には謎ありますか?」

彼女はずり下がった眼鏡を押し上げないまま、顔を少し上げ、
彼に焦点をむける。

「あんたはな、見たまんまやのに、飽きへん女やな。」

「どういう意味ですか?」

「呼吸をしてる女やから。」

「…どういう意味ですか?」

「世の中にはな、呼吸してる人としてない人がおんねん。」

そういって、彼は一旦、さめたコーヒーをごくりと飲む。

「止まってる人っていうのは、何回かあったら、もぅ
だいたいどんな人かわかってもーて、おもろないねん。
あんたの場合、わかりやすいねんけど、
今日は今日、明日は明日、息して、吸って吐いた分、変わりよる。
そんな女やわ。」

「それは、私まだまだ晒してないとこあるからですよ。」

「ほーか。じゃあ晒してみるか?」

「それは、追々。」

外線が入って、彼はしばらくデザイナーと話をする。
彼女は黙々と作業を進める。

時刻は7時を回っている。
同僚はもう、ばらばらと帰ってしまい、
デスクに残っているのは4人ほどだ。

一息ついて、チョコレートをかじり、
豆乳をすする彼女に彼は言った。

「あんた、彼氏に秘密ってある?」

「ありますよ。絶対言いませんけど。」

「いくつある?俺、略奪したこと何回もあんねん。」

「もうそのハナシは知ってますよ。」

「あんたは?」

「ありますよ。何回か。死んでもいいませんけど。」

「誰と?」

「教えません。」

「俺とも秘密つくらへん?」

「いやですよ。面倒くさい。」

彼女はげらげら笑った。

「面倒くさいことほど、おもろかったりするやん。」

「何言ってんですか。口説くなら場所考えてくださいよ。」

毎日顔を合わせる同僚とそんなことできるか、阿呆。
だいたい同僚に手出して、結局振られて
何ヶ月も傷心して、腑抜けて、
ろくすっぽ仕事もせんかったんは誰やねん。

彼女はそっと毒を吐く。
まったく、しょうがない人だと思う。

「くそー、もったいないなぁ。
泣いて喜ぶ女もおんのに、面倒くさいで断りよって。」

「センセ、ちょっとは懲りたらどうですか。」
彼女は笑う。

男も女も、しょうがない生き物だ。



mariah carey
オフィシャルサイト

Breakdown
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2008年01月20日

confusion



低級のビジネスホテルの地下は
ダブルとツインのみのフロアになっている。
フロントではダブルは満室、ツインしか案内ができないと言われた。
こんな場末のホテルでも混むようだ。
上の階はシングルの部屋が並んでいるらしい。
階段を降りると、
一種の逢引宿のようになっていて、
両側を小部屋にはさまれて続く壁の薄い廊下を歩くと、
ドアの向こうから女の漏らす声が聞こえる。
右の部屋からも、左の部屋からも。

古ぼけた赤い絨毯。安っぽそうできらびやかな
ゴールドカラーのシャンデリア。

彼女は思わず、くすくすと笑った。
彼はどうしたのと振り返る。
「だって、あまりにも声が丸聞こえだからおかしくって。
ここ、本当に東京なの?」
あまりに屈託なく笑う彼女に彼は
少し困ってしまって、
うやむやと何かつぶやくようにただ微笑んだ。

カフェとラブホテルとラーメン屋だけは、
故郷の方が充実していたなぁと
彼女はのんきに思って、彼に促されるまま部屋に入る。

ドアを閉めてしまえば、心が逸る。
抑制して、落ち着きを、平常心を取り戻すために、
彼女は部屋を見渡す。

部屋にも小さなシャンデリアがあって、絨毯も赤。
隣の部屋の男女の声がもぞもぞと聞こえ、
その逆隣の部屋からはあえぎ声が
相変わらず聞こえるといった調子。

彼は脱ぎ散らかすことなく、
服は全部並べてもう一つのベッドに並べた。
脱がせた彼女の服もきちんとベッドの上に置いた。

彼女は彼とのセックスが好きだ。
最初に肌を重ねた時から、忘れられなくなった。
ほとんど何もかもがちょうどいい。
それから、何が一番いいかというと、回復が早く、
何度も何度も、抱いてくれるところだ。
彼が情熱的に抱き寄せるだけで、彼女の体はすぐさま反応した。
短い時間を惜しむように、彼は彼女を求めた。

「今時、大学生だってこんなに元気じゃないですよ。」
彼女は彼の肩に頭を凭れて、呟く。
すっかり温かくなった手足を絡めて、
天井のシャンデリアを眺める。
隣の部屋からも物音はしなくなって、
階上の自動ドアが動く音だけが時折、ごごごと響いた。
「すっかり興奮してしまって。すまないね、疲れたよね。」
「いいえ。全然。」彼女はにこにこと微笑んで言った。
「奥さんは、たいへんだろうなぁって思いますけど。」
彼の指をいじりながら、彼女は言う。
今夜、彼の指に指輪はなかった。
「妻とは、もうそういう関係はないですよ。
2人目の子供ができてからは年に1回あるかないかくらいで。
ベッドだって、毛布で壁つくられちゃってるから。」
「壁ですか。。。」
「できるだけ気に障らないように、気をつかってばかりです。」

彼女は彼から家族の話を聞くのが好きだ。
父親としての彼を見るのが好きなだけかもしれない。

「あなたとこうしていると、すごく幸せで満たされた気分になるよ。
ありがとう。」

「いえ。いつもお世話になっているのは私の方ですから。」
「それは僕も同じですよ。」

彼は彼女の閉じたまぶたにキスをした。
彼女は顔を上げ、彼の唇に吸い付く。

「あまり優しいことばかり言わないで、時々は意地悪してくださいね。」
「どうして?そんなことはできないよ。」
彼はそっと彼女の鎖骨に舌を這わせる。

「でも、そうしてくださらないと夢中になってしまいそうだから。」
「本当に?」
「ええ。好きですよ。あなたが予想しているより、おそらくずっと。」
「嘘でもうれしいなぁ。
憧れの女性にそんなふうにいってもらえるなんて。」

彼女は彼の目を見る。
暗くても、彼もまた、彼女の目を見つめているのはわかる。
それほどに二人はしっかり体をくっつけていた。
お互いの呼吸を感じていた。

「嘘だと思いなさるんだったら、その方がいいと思います。」

彼女はそういって、彼の胸にもぐりこむ。
シーツと肌の隙間から、体液の混ざり合った匂いがした。

「でも、もう一言だけ、今だけの本当の気持ちをいうと、
ずっとこうしていられないのが、寂しい。」

彼女の背中をしっかり包む大きな手に力が入る。
滑る蛇のようにシーツの摩擦音をさせながら、
彼はより強く彼女を抱きしめた。



椎名林檎x斎藤ネコ

錯乱
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2008年01月17日

Marunouchi Sadistic



携帯電話の不在着信に気がついたのは、20分後。
黒糖梅酒のロックをデザート代りに、かけなおす電話。

斜向かいに座っている男が彼女を見つめる。
彼女は、暗い表情のまま、視線を落とす。

「Hey, what's up?.....well, not much.」
彼女は壁の方を向いてぼそぼそと話をした。
誰も彼女の電話を気にせず、それぞれの話を機嫌よくしていた。
彼は仕事の話に相槌をうちながら、意識は彼女の声に耳を傾ける。
はっきりとは聞こえないが、口論をしているようにも聞こえた。

彼女は眉間に皺をよせたまま電話を切り、
少し乱暴にバッグに戻すと、梅酒を一口すすり、
テーブルにどんっと置いた。
表情は険しいまま。

彼と目が合うと、彼女は少し悲しそうに微笑んだ。

お店を出て、JRの駅へ向かうグループと、
メトロの駅へ向かうグループとに別れた。

彼と彼の部下、彼女の3人はメトロ。
部下は新橋で降り、彼と彼女は電車のドアが閉まると
微笑みあった。

「まだ、少し時間があるから、飲みなおしませんか。」
「えぇ。そうですね。」

彼は降りるべき駅を乗り過ごし、
彼女の降りるべき駅で一緒に降りる。
彼は人混みの中、さっと彼女の手を握った。
指の間に指をすべりこませて、強く握った。
彼女の指は細くて白くて、壊れてしまいそうにみえた。
彼は指輪をしたままの左手で、
そっと彼女の手を持ち上げるとキスをした。
凍えそうな手に、彼の唇は温かかった。

八重洲を少しはずれたこのエリアはこの時間にもなると、
ほとんどが店を閉めてしまっている。
2,3件の飲み屋で断られ、当てもなくしばらく歩いた。

「静かですね。」と彼女は言って、続けざまに
「やっぱり、銀座で降りていればよかったかも。」と呟いた。
彼は強く手を握り返すと、
「あなたとだったら、どこでもいいです。
でも、それだと、あなたがかわいそうですね。
ずっとこんな寒いところをうろうろさせてしまって。ごめんね。」
と言った。
彼女は「いえ、歩くのは平気です。」とだけ答えた。

高島屋の脇を歩く。彼女は、この建物をけっこう気に入っている。
「さっきの電話は、カレですか?」
「えぇ。今夜、飲んで帰るっていったのに、聞いてないよって、
怒られちゃった。忘れっぽい人なんです。」

「心配なんですよ、男は。やきもちもやきますし。」
「そうですか。」

オフィスビルの大きな人口大理石の柱の陰を通りかかったところで、
彼は彼女をそこに押し付けるようにして、唇を塞いだ。

彼のキスは、優しかった。
唇も耳もうなじも、頬も、額も、
凡そ露出しているところにはキスをしてくれた。
彼は彼女の肌を柔らかいと言った。
スカートの隙間に手を差し入れて、
一番柔らかくて潤んでいる場所に指を滑らせた。
彼女は彼のコートの襟をしっかりつかんで、白い息と言葉を漏らした。
「きもちいい。」
この言葉が彼をどうしようもなく喜ばせることを、
彼女はもう知っている。

帰路を急ぐサラリーマンやOLが時々傍を通りかかったが、
ほとんど誰も2人の方を見ないで、通り過ぎていった。
一人、30歳くらいのサラリーマンが振り返って見たので、
彼女はその男に微笑んで、片目を閉じてみた。
男は、ばつの悪そうな表情をして、
前を向き、足早に去っていった。



椎名林檎


丸の内サディスティック
by youtube.com


2008年01月15日

TUGUMI




西武新宿線の乗り場で彼女は「あ。」と息をのんだ。
乗り場を間違えたのだ。都心側へ向かうのは、向こう岸。
小さな駅に連絡通路などなく、
彼女はすたすたとホームの端までいくと、
1mちょっとはある段差を飛び降り、踏み切りをかけ渡って、
駅員に説明し、正しいホームに難なく足を下ろす。

後ろから何か大騒ぎでついてきた男がようやく
彼女に追い着く。
「きみは、本当に猫かアダムみたいだな。
あの段差をいきなり飛び降りるなんて。」

アダムというのは、彼の元同僚で、
休みがあればヒッチハイクで田舎を旅したり、
何日もかけて山を登ったりするような男で、
真夏日に暑いからといって、
裸足、上半身裸で自転車に乗ってぶらぶらするような
ワイルドというか、厳しく言えば非常識な男だ。

「まぁ、アダムとは気が合うところはあったわね。
でもたいしたことじゃないわ。近道よ。」

雪がふりだしそうな寒空のプラットホーム。
最終電車まで、あと5分。徐々に寒さがいらだちに変わる。

質のいい、完璧な無濾過の日本酒をしこたま飲んで、
しばらく体の芯まで冷えることはないが、
頬や指先はびりびりと冷える。


彼女は、酒に酔っ払った時の、自分の男が嫌いだ。
言うこと、すること、すべてが癪。

電車がホームに滑り込む。
ホームにまばらにいた人たちが残らず吸い込まれる。

「見て。あの端に座ってるおじさん、ケータイ2つ使ってるよ!
おもしろいね!」

「別に。」
彼女はちらっと端をみただけで言い放つ。
別になにも珍しいことではないし、
携帯端末を2つ持っているのは彼だって一緒なのだ。

「ねぇ、みんなケータイを使っているね、おもしろいね。」

「そんなの普通だよ。ぎゃーぎゃー騒ぐな、みっともない。」
彼女は、まっすぐ、窓の外を凝視して言った。
酔っ払っている時の、この男は誰よりも嫌いだ。

「なんだよ、その言い方。」

「調子に乗んなさんな。
おまえこそ、脳みそ垂れ流したような、
くだらないことばっかいってんじゃねぇよ。
ちょっとは、シラフでもの言えよ。
置いて帰るぞ。」

彼女はぎろりと彼をにらみつけ、
またぷいっと視線を外に向ける。


山手線。さすがにこの時間は空いている。
二人は並んで端の席に座る。

「君が本当に僕のことを愛しているのかどうか、
時々まったくそう思えなくなるよ。」
彼は赤い目でそういった。

「またかよ。」
彼女は唇だけで呟いて、はぁと大きなため息を漏らした。

電車は鶯谷を過ぎる。
ラブホテルの寂しいネオン群が窓の外を流れていく。

「そうじゃなかったら、一秒だって一緒にいやしないわよ。
私はそういう女だって、何度もいっているじゃないか。
何度も言わせるな。鬱陶しい。」

「それは答えになっていない。」
彼はそういって、諦めたような顔をした。

「あんたさぁ、愛って常に一定だとでも思ってんの?」

「一定?どういう意味?」

「どんなに愛していてもね、
嫌いになったり、鬱陶しくなったりすることはあるのよ。
人間なのよ?利己的な生き物なの。
私は母も弟も愛してる。そんなとっても大事な家族ですら、
時々鬱陶しいと思うことあるもの。
あんただってそうでしょう?
家族ですら、時々嫌いになること、あるでしょう?
一定じゃないの、愛は。とっても流動的なものなの。
概して愛していれば、それでいいじゃない。
一瞬乱れたくらいでいちいち
ガタガタ騒ぐほどのことじゃないんだよ。
だいたいさ、大げさなんだよ、おまえは。」

彼女は、一瞬呂律が回らなくなったけれども、
ばっと吐き出すように言った。
彼女が彼にこんなふうに思想を話すのは、久しぶりのことだった。
それだけでもう、彼を満足させるに足りた。

彼は「すごく正論だね。」と言った。
彼はふふふと微笑んで、愛おしげに彼女の横顔を見る。
酒のせいで頬はふっくり赤いが、
視線はしっかり、前を見据えている。

きゅっとつぐんだ唇に触れる。

「なんだよ。触るなよ、恥ずかしい。」
彼女は彼の手を迷惑そうにはたきのけた。

「僕のねこちゃんは、老成しているね。
僕よりもずっと中身は大人だ。」

「あんたが幼稚すぎるだけだ。ほら、降りるぞ。」

そう言って、ドアの前に立つ。
彼女の小さな背中に彼はそっと手を置いた。

もう3年近く一緒にいるのに、彼女の考えていることは
いまだによく判らないことばかりだ。
とらえたと思ったら、また新しい一面で煙に巻かれて、
いつまでもひらひらと捉えどころがない。

いつまでたっても、彼女の実体は、
彼にはよくわからない。
すぐそこにあるのに、よくわからなかった。


TUGUMI
吉本ばなな(1989)


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