2007年09月29日

fake star



大きなヴィラの脇道を抜ける。
細い道で、一人の青年とぎりぎりですれ違い、
野良犬が吼え、追いかけてくる。

「ねぇ。犬に噛まれそうなんだけど。」
彼女は彼の耳元で言う。
この街の犬はまだ穏やかだと思っていた彼女は、
犬嫌いもあって、その声には明らかに動揺の気配がみえた。

「そりゃ、危ないなぁ。」
彼はできるだけスピードを出すが、
スピード抑制のために道が時々盛り上げてあって、
その度に減速せざるをえない。

彼女はぎゅっと彼の背中にしがみつく他なかった。
脇道を抜けて広場に出ると、すぐ右にクラブがある。
しっかりしたハコではなく、
そこらにある集会場をそのまま改築したような造りで、
大音量のトランスと大騒ぎは全て外に筒抜けだった。

入り口のセキュリティも何もかも顔パス。
誰もが彼に「久しぶりだな!」とか、
「こんなところに何のようだ?」とか言いながら抱擁をした。

彼女は暗闇の中を彼の手にひかれて、フロアに入る。
ぐにゃぐにゃと這い回る紫のレーザーライトに、ミラーボール。
小さい映画館にあるくらいのスクリーンには、
アルファベットが駆け抜け、その手前のステージでは
女の子たちが、馬乗りになって腰を振っている。
猥雑でチープ。規則的な電子音と頭が割れそうなビート。
彼女は大きく息を吐き、めまいから立ち直る。

暗闇で目を凝らすと、ほとんどは地元の若者で、
肌の白い人間は見当たらない。

トランスは好きではないので、体が動かない。
それでも、彼が彼女の前で体を揺らし始めたので、
彼女も仕方がなく彼に合わせてリズムを捉える。
ステージの女の子達は正常位で腰を振っている。

「あの子達は、ジャワ人?」
彼女は目元にかかった髪を耳にかけながらきいた。

「そうだよ。どうして?」
彼はその毛先を撫でながら言う。
「きいてみただけ。」

暗闇でふざけたビートの洪水の中、ぶつかり合うようなキスをする。
DJもステージのダンサーも、フロアで汗を散らしている男も女も、
ぺこぺこのボックス席でくつろいでいる男も女も、
二人の行為をみていたかもしれない。
二人は長いこと抱き合ったり、キスをしたりした。
誰か一人くらいは、みていたかもしれない。

彼女は一瞬、彼の奥さんのことを考えてみた。
考えてみたところで、
どうにかなるわけでも、どうにかしたいわけでもないのでやめた。

「疲れちゃった。」
「疲れちゃったね。」
どちらからともなく、静止し微笑む。

「座って。ビールをもってくる。何か食べたい?」
「私はまだおなかいっぱいなの。」

柱の横のテーブルで、椅子をひき、彼女を座らせると、
彼は、奥の蛍光灯の明かりが漏れる部屋に入り、
しばらくして皿を一つ持って出て来て、DJブースの裏で、
笑ったり話したりしているうちに、2本の大瓶ビールが手渡され、
そのまままっすぐ、テーブルまで戻ってきた。

皿の上に乗っていたのは普通のフライドポテトとケチャップ。
久しぶりに見る食べなれた食べ物が目に新鮮だった。
「おなかすいてたのね。ごめんなさい。」
「いいよ。どうぞよかったら食べて。」
瓶をガチンと大きく鳴らせて乾杯をし、踊る人々の影を眺める。

不意に彼の背後から、女の声がする。
「にーさん、超ひさしぶり!!」
振り返ると、やけに肌の白い小柄な女で、
彼は、驚きとともにはしゃいだ声で彼女と挨拶を交わす。

「こいつは俺の幼馴染みだよ。6月に結婚式があったろ?
あの家の2つ隣に住んでんだ。」
彼は、嬉しそうに彼女に紹介をした。
女たちはにこやかに握手をする。
ここでも彼女は奥さんのことを考えたが、
誰一人気まずい顔をしないので、すぐにそれもやめた。

二人はビールを飲んでいる間も、キスをした。
会話が途切れるたび。会話に疲れるたび。
そして会話を諦めるたび。
酩酊しなくても、彼女の語彙力には限界があったし、
音が二人の声をぐちゃぐちゃにしてしまうからだ。

「裏のバレで少し休もう。あそこなら静かだ。」
彼は、空いているバレがあるかどうか見てくるといって、
フロアを出た。入り口の所でまたセキュリティと話し、
ゲラゲラと笑って、左に出る。その影を彼女は目で追う。
こんなに人がたくさんいるのに、彼以外見えなかった。
残りの人は全て、ただの影か黒い塊にしか見えない。

一番奥のバレで、二人は何度も体を重ねた。
野良犬の気配と、泥酔した人たちの鼾と、
トカゲと虫が一斉にざわつく中で。

遠くの街灯の灯りは何の頼りにもならず、
ほとんど肌に触れる感覚だけでお互いを確かめ合う。
ビールは茣蓙の上に零してしまったし、マルボロとライターも、
どこか茂みの中に落としてしまった。

いつの間にかクラブの音は止まり、
人々の集団がざわざわと立ち去り、
二人は服が乱れたのもそのままに、眠りに落ちてしまった。
お互いの触れ合っている部分だけ温かく、
徐々に夜露に濡れる髪やつま先が凍えた。

彼女があっと目を覚ましたときには、時間はすでに4時を回っていた。

「起きて、もう4時過ぎちゃってる。」
彼女が何度かぴしゃぴしゃと彼の頬を叩いても、
彼は目を覚まさず、暢気な鼾をかいている。
初めて彼が彼女のベッドで寝た時もそうだった。
朝6時まで、眠りこけていた彼は
朝日の眩しさもあってようやく彼女の声で目を覚まし、
「やっべ。自分の家かと思ってた。」と言いながら、
慌てて帰ったのだ。
今回は、外だし、寒いし、蚊が痒いのもあって、
あっさり目を覚ました彼は、
やっぱり「あー。しまった。。。」といって、
のそのそとベルトをしめ、シャツのボタンを閉じ、
彼女にキスをした。

「さぁ、おひらきだな。とっとと帰るぞ。
今日は儀式が7時からなんだ。たぶん起きられないと思うけど。」
「はい。とっとと帰りましょう。
私も、8時に会社のお迎えが来るのよ。」

手を繋いで、クラブの入り口の脇を抜け、外に出る。
もう犬すらいない。
ノーヘルで捕まらないように、
裏道を抜けてホテルに戻ったのは5時だった。


平井堅
オフィシャルサイト


fake star

by youtube.com



2007年09月28日

Midnight dejavu



「少し、そこまで散歩しない?」

男が浜辺の散歩に誘うのはこれが初めてで、
彼女は一瞬身構える。

なんだろう。

グラスをカウンターにおいて、男の後ろについて歩く。
背後から、シンガーと彼の釣り友達の
「どこにいくの?」と言う声が聞こえて、彼女が振り返ると、
寸時遅れて彼も振り返る。

「ちょっとお散歩。」
彼女ははじけるような笑顔で答え、
男は微笑み、小さく手を挙げる。

「きをつけてね。」
シンガーはにやにやとサンプルナを喫し、
その顔は煙と甘い丁子の香りで一瞬かき消される。
釣り友達は手を振り、彼女も手を振りかえした。

バーから30m程離れた、外灯の灯りが届かなくなった時点で、
どちらからともなく、細い指をするりとからませあう。
彼は彼女の頬に触れて、海風と酒で冷えた唇を、
同じく冷えた彼女の唇におしつける。

青いレモンとコーラと、飲みなれたアルコールの味を
お互いの舌に感じた。
そして、彼が呼吸するときの赤いマルボロの香りに、
彼女はふぅっと眠りに落ちそうな心地になる。

「白たばこくさい。」
彼女が冗談半分でいうと彼は
「君は、丁子くさいよ。唇も甘すぎる。」
と言ってがががと笑った。
彼女はついさっき、シンガーからサンプルナをもらって、
ゆっくりゆっくり味わったところだったのだ。

この国の丁子のたばこのフィルターには
甘味料がコーティングされていて、
喫した後に唇を舐めると飴玉のように甘い。

指も腕もからませあったまま、人気のない浜辺を歩く。
波の音の合間に、露店の子や女たちの寝息が聞こえ、
時折、動物の吠声がかすかに聞こえた。
それと、二人の砂の上を歩く規則的なざりざりという音。

彼女は空を見上げた。
星がたくさんありすぎて、星座なんて見分けがつかない。

「今夜も星がたくさんね。どこまで散歩するの?」

「わからないよ。また酒がほしくなったら戻ろうか。」

「じゃあ、きっとすぐなのね。」

彼女が少ししょんぼりした声を出すと、
彼はくすくすと笑って、何度も彼女に口づける。
彼がこんなふうにくすくす笑うのは、
彼女と二人きりのときだけだった。

この島で一番大きなホテルからにゅっと海岸まで突き出たヘリポートに、
釣り人の影がいくつか見えた。

「寒いわね。」
彼女は彼の腕を抱きかかえるようにした。
ひんやりした海風は強く彼女の頬に吹き付ける。
今夜はここまで来る予定ではなかったので、
薄手のカーディガンしかもってきてなかったのだ。

彼にしたって、いつものしわひとつないシャツと、
膝までのジーンズにサンダルだったので、寒いに違いなかった。
彼女の体をすっぽり抱きしめてしまうと、
うなじに、肩に、耳の先の尖がったところ、耳たぶの柔らかいところに
たくさんのキスを浴びせた。

「やっぱり寒いから戻ろっか。風邪ひいたらかわいそうだ。」
彼は彼女の目を覗き込む。
彼女が彼を好きなのは、彼の瞳に言葉に、手に、
男をというよりも、父性を感じるからだ。

彼女がうなずくと、彼は右手でぽんぽんと彼女の頭を撫でる。
彼女はそうされるのがすごく好きだった。

「そこの貸しボード置き場なら風が防げるかもしれない。
少し休んでいく?そこでビールも買えるし。」

休んでいた露店の少年を起こして、ビールを1本もらう。
充分寒いのに冷えたビールを彼は3,4口飲み、彼女に手渡す。
彼女は少し口をつけただけで、彼に戻し、彼はそれを一口飲むと、
砂の中に底を埋めるようにして置いた。

彼はボードを背にして座っていた。
彼女は砂に膝をついて腕を彼の首に回し、長いキスを降らせた。
彼の冷たい手が服の中で肌を滑る。
彼は「愛してる」と言った。
彼女は最初聞き取れずに、きょとんとした。
聞き取れていたのかもしれないけれど、
彼の口からその言葉がでてくるなんて、思いもしなかったからだ。
「いつから?」
「もうずっとずっと前からだよ。」

二人は砂の上で抱き合った。そのまま小さく揺れた。
彼は何度も「愛してる」といった。彼女は答えなかった。
ただ、彼の頭を抱き寄せて、切ないため息を耳元に零した。

彼の膝の上に座り込んだまま空を見上げると星も月も揺れた。
ボードの向こう側の舗道を人が通る。
息を殺して、行き過ぎるのを待つ。
その間にも音を立てないキスをやめない。
揺れ続けて、やがて止まると、二人は体を離して、
砂の濡れた部分を埋めた。

つかの間もなく、少年の母親がビールの代金をとりにきた。
この老いた女はきっと何もかも気づいていたのだろう。

ちょうど支払ったところで、シンガーと彼の友達が煙草を買いに来た。
「あれ、もう帰ってきたの?」
「どこまでいってたの?」
2人同時に口を開くものだから、彼女は困った顔をしてみせる。

「そこのヘリポートより少し先までよ。」

4人で舗道をとことこ戻る。時計を見るとすでに1時を回っていた。
「あなたたち、今夜は釣りをしないの?波が高すぎるかしら。」

「そうだね。波が高すぎて糸が浜まで流されるね、きっと。」

「今夜はもう遅いから、ホテルまで送ってもらいな。
俺達はまだもうちょっと飲んでから帰るよ。」
シンガーはそういって、にこりと微笑むと、
彼女の風で乱れた髪を耳にかけてやり、頬にキスをした。

「さぁ、おやすみ。また明日。」
シンガーはふいに真面目な表情で言った。
彼のドイツへの出発日はもうすぐそこまで近づいていた。

「酔っ払わないようにね。おやすみ。また明日。」
彼女は努めて明るく言う。
釣り友達は、もうすでに酔っ払っているといわんばかりに
げらげらと笑った。

「おまえさんら、帰る時はグラスを流しにおいとけよ。」
たまったグラスを洗い終え、煙草に火をつけながら、
カウンターから男が出てくる。
風を避けるように手のひらを丸めて火をつける様子が
彼女は好きだった。

まだ帰りたくなかった。もっと一緒にいたい。
お互い同じことを思いながら、黙りこくってバイクにまたがる。

「クラブによってみる?」と彼が聞いたとき、
彼女は迷いもせず返事をした。


Ego-wrappin'
オフィシャルサイト。


色彩のブルース



2007年09月25日

Killer Tune



新婚の日本人女と、妻子あるバーテンダー、
これから彼女の住むドイツへ行こうとするアコースティック・シンガー。
2人の男はパートナーがいながら、女に思いを寄せていた。
彼女は彼女で、その思いをどちらも、
受け止めるでもなく、流すでもなく、拒否するわけでもなく
ふわふわと対応していた。

それをバーのウェイトレスたちは単に、
彼女のそういう物腰の柔らかい性格のせいだと思っていたが、
それにしたって、旦那に不義理じゃないかとも感じていた。
仕事だから仕方がないにしても、新婚のわりに家を空けてばかりだし、
旦那のことをのろけることも一切なく、写真も持っていないというし、
実在するのかどうかすら疑わしい旦那の存在は希薄だった。

男達に関していえば、なぜ彼女にばかり執着するのかがわからなかった。
店に来る女は何も、彼女だけではないからである。
シンガーの方は、外国人の女なら誰にでも愛想よく接したが、
特に真面目でわりと晩熟なバーテンの方が彼女のことばかり気にかけて、
ペティナイフで指を切りかけたり、グラスを落としたりする度、
余計に女たちのゴシップ魂に油を注いだ。

男達はお互いのことをどう思っているのか。
彼女が実際にすきなのはどっちなのか。
関係はどこまで進んでいるのか。
バーテンはどこまで本気で彼女にはまっているのか、
妻には気付かれていないのか、など。

閉店間際にシンガーが浜辺の散歩に誘うことが最初のうちは多かったが、
この頃では、バーテンの方が閉店後に瓶ビール1本を開けて
彼女の分とグラス2個をもって、
片付けたばかりの椅子を下ろすことが増え、
形勢はどうやらバーテンの方が勝っているようにも見えた。

とはいっても、
シンガーがステージ上でもいちいち彼女の名前を出して歌ったり、
わざわざ日本語の挨拶をしたり、
特に誰も気付かないようなキーの小さなミスごとに、
二人が交わす意味深気なアイコンタクトと微笑みには、
並々ならぬ親密さがあり、実際のところはよくわからない。

最近はバーテンの方ですら、人目も憚らず彼女の髪やうなじをなでたり、
彼女の手をテーブルの下で握っていたりするし、
シンガーが同じ事をすれば少し嫌がってみせる彼女も、
バーテンの手が触れるのはおとなしく受け入れていたりするし、
何を考えているのか、時々そこらへんの土産屋の男の子や、
絵描きの男の子を連れてきて、ちんと座り、飲んでいたりする。
シンガーの行動はまぁこんなものだろうと想像できても、
バーテンののぼせっぷりは日に日にエスカレートし、
彼女の不思議さも日に日に増すばかり。
ますます、この三角関係から目が離せなくなっているのだった。

これは男2人に共通していえることなのだが、時々、
彼女の部屋はすぐそこなのに、送ってくるといって、
何十分も帰ってこないこともある。
彼女が一人で帰ってしまった時は、自分も家に帰るフリをして、
彼女の部屋にこそこそと通っているのも、女達は気づいていた。
表面上は、3人とも仲良くやっているように見えるのは、
どういうことなのだろうか。
明らかに、もめる要素はあちこちに散らばっているのに、
3人で仲良く同じ瓶の酒を飲んで、談笑していたりするのだ。
男達が牽制し合っているともとれるかもしれないが、
バーテンは妻子持ちという立場上、彼女を堂々と誘えないので、
シンガーがいるときは必ず、シンガーに彼女を譲っている。

女たちが彼女に真相を聞きたいと思っても、オーナーやコックを含め
いつも店の男たちがちやほやと取り巻いているので、隙がない。
当事者の男達にきいてもはぐらかされに決まっている。

女たちはいろんな憶測を立ててはきゃっきゃと喜ぶしかなかった。




東京事変

オフィシャルサイト

キラーチューン
by youtube.com

2007年09月23日

Sitting, waiting, wishing



「俺、13日からドイツに行くんだ。」

彼が唐突に告白したときに、彼女はふぅんと
関心のなさそうな返事をした。

「いつまで?」

「わかんないよ。1年とかかな。」

彼はけらけらと笑い、きつめに割った酒を飲んだ。

「一年も何するっていうの?」

「さぁ。歌ったり。」

「今と変わらないのね。」

「うん。わかんないけどね。」

彼にドイツ人の彼女がいるのは知っていたが、
まさか一緒に住むほど本気とは思っていなかった。
出会った当初は、「ガールフレンドはもう長いこといない」
なんて大嘘ついて、彼女を口説いていたくらいだし、
「実は彼女いるんだ」と白状した時も、
彼女を口説いている最中だった。
どんなに離れていたって、
他の女を口説く程度の思いなんだと思っていたので、
彼女は内心、非常に驚いた。でも、それを表にはださなかった。
帰国日をごまかすあたり、もしかしたら、
あっちで結婚をするつもりなのかもしれないと、彼女は思いついた。
そして、今までのアプローチはなんだったのかと、
若干拍子抜けすらしていた。

彼の理論で言わせれば、彼女は彼女、ここにはいない。
君は君、誰にも知られていなければ、いいじゃないか。
そういうこと。

彼はこのバーがオープンした1年前から、
平日の晩にいつもアコースティック・ライブをしている。
彼の声は深く情熱的で、道行く人がはっとするほどの歌声で、
おまけにギターも自由自在に爪弾けたから、
たくさんの観光客が足を止め、
ビンタンビール片手にうっとりと彼の声に耳を傾けた。
若い女の子たちが、舐めるような視線を彼に向けることもあった。

彼がいなくなってしまったら、店の経営状態が
格段に右肩下がりになるのは明々白々だったし、
彼女自身、彼がいなくなってしまったらこの店は
ネタのない寿司のようなものだと思ったので、
彼の大きな門出を祝う気持ちよりも、
店の将来を憂う気持ちが勝ってしまった。

それは彼女の表情をありありと曇らせ、彼の浮気心をくすぐるのだ。

「俺がいなくなったら寂しい?」

「そうね。寂しくなるわね。」

思いのほか、素直に寂しいと呟いた彼女の
真っ暗な海の闇を吸って艶やかに黒い瞳がいじらしく思えて、
彼はぎゅっと彼女の肩を抱いて、さっと唇にキスをした。

「よくもまぁ、そんなことができるわね。」

彼女は目をぱちくりとさせて、彼を見る。

「俺はしたいことをしているだけだよ。」

「懲りない人ね。」

彼女はちらっとバーカウンターの方を伺う。
男はカクテルを作るのに集中したふりをして、
手元をせわしなく働かせていた。
彼女の視線に気がつくと、おどけて笑ってみせる。
偶然気がついたのではなく、実際は彼女のことばかり見ていたので、
気がつかないわけがなかったのだ。
そんな風だったので、カクテルに入れるジンの量は間違えていたし、
飾りのフルーツを切るのもいつもの倍時間がかかった。
彼が彼女の肩に手を回しているのを見るだけでも、
少し胸くそが悪かった。
男は、男で彼女のことが、
出会って間もない頃から好きでしょうがなかったのだ。
彼みたいに堂々と肩に手を回せたり、手を握ったり、
隙さえあればキスだってできるような立場をうらやましく思った。

「あんた、ほんとにあいつのこと好きなんだな。」
男につられて、にこりと微笑んだ彼女に、彼は言った。
「俺にはそんなふうには笑ってくれないじゃん。たまにしか。」

「そうでもないよ。」

「嘘ばっかり。」

彼女は照れを隠せず、笑う。
そして彼も、にこにこと愛想よく笑うのだ。

この3人の奇妙な関係は、
店のスタッフ達の最大の関心事になっていた。


Jack Johnson
オフィシャルサイト

Sitting, waiting, wishing
by youtube.com


2007年09月12日

Don't know why



湿気をたっぷり含んだ冷たい風が
遠浅の海からびゅんびゅん吹き付ける。
「9月は海からの風が強くなるから、少し今より寒いと思う。」
前回の帰国直前にこんな会話をしたのを思い出して、
幸いなことに春物のアクリルのカーディガンを持ってきていたけれど、
冬物のたっぷりした厚手のパーカーでも、
場合によっては、コートでもよかったかもしれないと
彼女は思った。

じっと座って、冷えたお酒を飲むと
じわじわと体が冷える。
南国だと思って、ノースリーブしかもって来ていないような観光客は、
元々寒さに強そうなヨーロッパ人を除いて、
大変な思いをしているんだろうな。

彼女はふぅっとお土産のキャスターマイルドの煙を吹く。
視界がもやもやと白く濁って、目の前に華奢な指を見る。
小さなダイヤがたくさん並ぶ太く膨らんだ金の指輪。

「髪、ほんとに短くなったな。長い時はめっちゃ可愛かったけど、
短いのも可愛いよ。よく似合ってる。」
彼は、その手で、彼女の毛先をわしわしっと撫でた。

ひんやりした、細い骨ばった大きな手。
その手が耳元を離れた時、
彼女はもっと撫でていてほしいなと思った。

「長いほうが可愛かったよ。確実に。
また長くなるまで、しばらく切るなよ。」
彼女の右隣にぴったりくっついて座っている男は言った。
手首のつばめのタトゥーに、グラスにびっしりついた水滴が垂れる。

「新しい髪形もいいけど、長い方がフェミニンだったわよね。」
「でも、短い方が楽じゃん?私も髪の手入れが面倒だから、
ショートでいっつもキャップかぶってるもん。」
「切るんだったら交換してほしかったなぁ。もったいない。」
女たちは妹分の彼女が2ヶ月ぶりに帰ってきたのを喜んで、
好き勝手なことをわいわい言いながら、
ウェイトレスの2人は普段は一滴も口にしないお酒をちょっぴり飲んだ。
バーテンダーはいつもどおり、ショットをぐいぐい飲み干した。

右隣の男は彼女の肩を抱き、時折彼女のうなじに顔をうずめた。
「恥ずかしいからやめてよ。」と彼女がいうと、
「寒いからいいじゃん。なんで恥ずかしいんだよ。」と言って、
逆隣に座るバーテンダーのお姉さんの肩を抱いた。
「恥ずかしい?」
「ん?別に。」
「ほらね。」
そういって彼は、すいっと再び彼女の肩を抱く。

「ほらね、じゃないよ。」
彼女はしょうがないなぁといった感じで笑い、彼はご機嫌だった。
目の前の男は、彼女と目が合えばにこりと微笑んだが、
始終だいたい、遠くを見るか、
彼女の隣に座る男と現地語で早口にべらべらと話をした。
会話に参加でききらないのは非常に残念だが、
彼が時折、がががと笑いながら話すのを眺めるだけでも心地よかった。

新しい客の注文が入って、
店のスタッフ達がそれぞれの持ち場で忙しそうにしているのを
2人はそのまま、端っこの席から眺めていた。
時々グラスを口に運び、灰皿に煙草の灰を落とす。
唐突に、彼はずいっと彼女の目を覗き込んで
「誰に対して、恥ずかしいの?」
と尋ねた。

「え?」
彼女は彼の顔をしげしげ眺める。
「彼に対してだろ。」
彼はにやにやしながら、
バーカウンターでカクテルを作る男をちらちらと見た。
シェーカーを振る指に、金の指輪。
ふんわりと柔らかそうな皺のないシャツが揺れる。

「なんでよ。」
彼女は思った以上に強く出た声に、自分でも驚く。
「だって、さっきからずっと見てるじゃん。うっとりしてさ。」
「だって、目の前に座ってるんだもの。
それにおいしいお酒飲んでたら誰でもうっとりしちゃうでしょ。」
「すきなの?俺より?」

「何言ってんの。意味わかんない。」
「ふぅん。図星なんだ。」
「違うわよ。」
そう言いながら、
自分の顔がぶわっと赤くなるのが判る。

何焦ってんの?
彼はそういわなかった。
彼女が心の中でそう思っただけ。

彼はその代わり、
「じゃあさ、俺のこともちょっとは見てよ。」
と言って、彼女の手をぎゅっと握った。

本当に触れたいのは、
シェーカーで冷たくなった男の右手であって、
彼の手じゃない。

乾くのは喉ではないのはわかっているけれど、
彼女はごくごくときつめに入ったアラックを飲み干す。
視界がぼんやりして、彼の姿ばかり追わなくていいように。


Norah Jones
公式サイト

Don't know why
live by youtube.com


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。