2007年07月17日

The still steel down



見慣れた大きな木やカーブ。
雨宿りしたバビグリン屋さん。
いつも稲藁がずっしりつんである小屋。

大型バスと着飾った人、大掛かりな拵え物は、
今日から始まるアートフェスティバルの参加者たちだ。
この日はアートセンターの特設会場に島中から、
人が集まってきているに違いない。

時速60km以上の速度で、近づいていく街。

このヴィラをすぎたら、黒い猫の看板があるのだ。
何一つ、忘れていなかった。
何もかも鮮明で、何もかも変わっていなかった。
1ガロン3000ルピアの水の看板も。
鬱蒼として、木々が蓄えた湿気が
じんわりと肌を湿らせるような猿の森の脇道も。

「どこに行きたいんだい?」

「市場がいいわ。」

ここから市場へなら、あの通りを通らなくても済む。
彼がもしもまだあのギャラリーで働いているとして、
私はその前を通られる程、神経は太くない。
仮に彼が私を認識したとして、
彼がどう思うかはわからないけれど、
私が彼を認識すれば、少なくとも、
肌も心もざわめいてしまう。

それだけは間違いなかった。
できれば、避けたい。安らかにいたい。

1年ぶりの市場は客が少なかった。
やはり、この時期は観光客が少ない。

そのわりに強引な客引きはなく、
場内をゆっくり見渡すことができる。
あちこちの店で売られている色とりどりの
椰子の大きな編みバッグが今年の流行とみた。

サロンを1枚買い、カエルのおもちゃを買った。
買ってしまってから、
生まれたばかりの姪には
まだ早すぎるかもしれないと気付いて
オフィスのドアマンの息子にあげることにした。
最近、投げキスを覚えたばかりの
なかなかのプレイボーイなのだ。

去年は怖くていけなかった食料市場にも行ってみた。
薄暗い地下階に、ぎゅうぎゅうに食べ物が積まれている。
色とりどりのにおい。
果物、米、豆、野菜、まだ死体を思わせる肉。
蒸しケーキ、巻きタバコ。お供え物グッズの数々。
こんな狭いところで焼き鳥を焼いている店もある。
最近火事にあった州都の市場も、
こんなくらい雑然としていたところで
何か焼いたり、煮たりしていたんだろうなと思う。

まったく客引きされないのをちょっと残念に思いながら
市場を後にする。

「次、どこに行きたい?師匠のところ?」

「師匠のところは帰り道にあるから。
先にお昼にしましょうよ。」

「イブオカいきたい?」

「あなたは豚が嫌いなんでしょう?
別のところにしましょう。お気に入りのお店があるの。
そこのミークアが食べたいわ。」

「それって、どこだい?」

私が説明をすると、ライダーは
「あぁ、オカのねーちゃん家の通りだな!」
と言った。そういわれてみれば、そうだ。
私の助手だったオカ。小言が多い兄貴分のオカ。
よく、あの通りでオカの甥のエカーと遭遇したんだっけ。
いつもコーヒー牛乳か、アラックを飲んでいたな。

自分の生活の中心だったことは意外と抜け落ちている。
記憶なんてかなり薄情なものだ。

とりあえず、ここからその食堂までも、
ぎりぎりあの店の前は通らなくて済む。
視界には入る距離だが、
そっぽ向いておけばきっと大丈夫。

その読みが、甘かったのだ。

「違う。もう一つ向こうの通りよ。」
そう言った時には、もぅ遅かった。
バイクはくるりと滑らかに右折し、
あの店の前を通った。

絵に埋もれた小さな看板。
月の形をした窓。狭い入り口。
彼の絵。
店の中には、
うつむいていてだれだかはわからないけど、
背格好の感じからすると、きっとチョイだ。

ほんの一瞥だけで、
私の心臓は銅鑼のように豪快に鳴った。
あれでもし、彼の姿を見てしまったら、
私は泣いてしまったかもしれない。
その瞬間じゃなくて、帰りの道とか、その夜とかに。

彼はどこにいるんだろう。
私のことなんて忘れてしまっているのかな。
恋人がいて、幸せにしているのかもしれない。

そんなことをふつふつと考えては
自分にそんな資格はないのにと気付く。
結局彼を選ばなかったのは私なのに。

お気に入りの食堂は大将がお留守で、
知らないおねーさんが作ってくれたミークアは
おいしいけれど普通のちゃんぽんってかんじで、
残念だった。


さっきの景色がよみがえってくる。

変わってしまうことも
それをそのまま受け入れられないと
前を向いて進めなくなってしまう。

私がこの街においてきたものは、
変わっていなかったのかもしれない。
それもまたそれで、手に余るのだ。

一度確かめると、手放せなくなりそうで、
打算的な私はつい、距離をとってしまう。

それでも性懲りもなく
私がここにいることだけでも伝えてみてもいい・・・?
なんてすがるような気分になったりして、
自分の意思の薄弱さに嫌気がさす。

来なければよかった。



安藤裕子
オフィシャルサイト

The still steel down
PV視聴(wmp)

2007年07月09日

beetlebum



外部でのミーティングの後、
日比谷公園の脇をメトロの入口まで歩いた。
もう7月なのに、気温はちっとも高くない。

駅の階段に、ゴキブリがつぶれていて、
彼女は延々と改札を抜けてホームについてもなお、
ゴキブリと甲虫の話をし続けた。
彼はその情報の内容よりも、意外性を喜んだ。
昼間から、熱帯のゴキブリについて語るなんて、
彼の知りうる限り、彼女くらいなものだった。
彼の知るオンナノコというのは、
ゴキブリのゴの字を発するだけでも
苦々しい表情をするような感じ。

彼はそのお礼というわけでもないが、
ちょうど小学生の集団とすれちがったのをきっかけに
社会見学で国会議事堂を訪問したときに、
バスに酔ってしまって
門のど真ん中で派手に吐いた話をした。
彼女はケラケラ笑って「伝説ですね。」と言った。
彼女はこういう、
どちらかというと忘れたい過去の話(汚点)を
かなり喜んで聞く。
そして、ポジティブな感想を一言でさらりと残すのだ。
安心して汚点をさらせるタイプ。
彼は、彼女と話をするのが好きだった。

丸の内線の逆方向のホームに電車が入ってきて、
彼女の長い髪がゆるゆるとなびいた。
それを見て、その香りをかいで、
「そうやって髪をおろしてると、なんかいいね。」
彼は言った。
その、あまりにすとんとした、下心のない言い方に
彼女はかなり感心した。

「切ろうと思ってたところなのに。」
困ったように笑ってみせる。
パーマのとれかかったゆるいカールを
強めにひっぱればおへそまで届く長さだ。
もう毛先もずいぶん痛んでいるし、
手入れも面倒くさい。

「本当?どれくらい切るの?」

彼女は、ちょうど
彼くらいのベリーショートにしたいと答えて
彼は、それは、もったいないよと言った。

「髪はいくらでも伸びるのに。へんなの。」
彼女は笑いながら、
彼に「いいね」っていってもらえるのなら
もう少し、長いままでもいいかなと思った。
そういう、自分のゲンキンさが一番おかしかった。



Blur

Beetlebum
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