2007年04月30日

エズミに捧ぐ



東京はなんて雨の多いところなんだろう。

山手線の駅にもぐりこむ前は
ぐずぐずしていただけの空から
はらはらはらと雨が降っていた。

雨の午後の、後楽園は寂しいを通り越して
侘しい。

空も街も何もかもが灰色で透明で
淀みなく、凝固している。

タバコの吸殻がふやけた水溜りを
特に避けるでもなく彼は私の一歩手前を歩いた。

正確には0.5歩、手前。

それは単に私が道を知らないからだ。

傘の骨の先がぶつかりあう距離で
ぽくぽく歩く。
先方へ言ってある時間には
まだまだ早い。
東京の街をこんなにゆっくり、
踏みしめるように歩くのは初めてかもしれない。

「あ。東京ドーム。」

東京ドームは死んだウサギみたいに丸い。

「そっか。これも初めてなんだ。」

彼は私のおのぼりさんっぷりを
変に面白がるわけでもなく、
かといって侮辱するわけでもなく
ただ淡々と静かに「そっか。」と受け止めるのだ。

私は、彼のそういうところを気に入っていた。
時々、突然
ジェスチャーだけで話をしようとするところも
なんだか滑稽で気に入っていた。

目的地のビルの目の前で時計を見る。
まだまだ、15分も時間がある。

何も無い、車も通らない交差点で、
彼はぽつりと
「じゃあ、もう少し歩いてみようか。」
と言った。

あふれるほど何もかも、ありすぎるほど
ある場所にはあるのに、
ない場所には、何にも何にも、ない。
あると思っていた場所にも
実は本当にほしいものはなかったりする。
東京っていうのは、そういう印象。
今のところは。

歩いても歩いても誰ともすれ違わない。
排気ガスで黒くなった街路樹の幹だけが続く。
繁り放題の街路樹は、
屈まないと真下を歩くことが出来ない。
柔らかい新緑の葉が、ざらざらと傘の表面を撫でていく。

彼が私の歳ぐらいの頃の話をきいた。
サンディエゴでイグアナの世話をしていたんだそうだ。
イグアナは普段は緩慢としているけれど、
散歩の時だけはものすごく速いんだと
彼は少し力を込めていった。

肩まである髪に顔が隠れてしまっているけれど
彼が真剣な顔で言っているであろうことは
容易に想像が出来て、
それで余計に笑ってしまう。

雨の跳ねる音の方が、時折
彼の声よりも大きい。
それで、私はもう少し
彼の側に寄るのだ。

額に雨粒が垂れてきても。


「for esme- with love and squalor」
J.D. Salinger(1953)

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。